歴史 - 会計

紀元前

お金の誕生

紀元前3100年頃 簿記の誕生(文明誕生の時代)

→攻撃品や彫刻とともに粘土製のトークが太陽に出土した。円錐形や円柱形など形状は様々。しかし、1970年代にフランスの考古学者が、これらのトークンが「数の勘定」に使われていたことを突き止めた。各トークンは穀物や家畜を表しており、それを数えることで財産を記録していたとのこと。

トークンを棚から棚へ移動させれば入出庫管理ができます。棚にあるトークを数えれば在庫計算ができる。これも一種の簿記。そして、型や記号を書き込むことで管理が簡略化され、文字の誕生に至ったとされている。(人類が記録を残すようになったのは、歴史や詩、哲学を記すためではありません。経済的な取引を残すために、私たちは記録のシステムと文字を発明した。)

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14世紀(1300 - 1399)

15世紀(1400 - 1499)

1492 コロンブスがアメリカ大陸を発見、大航海時代の幕開け

コロンブスがアメリカ大陸を発見。大航海時代の幕開けとなった。

1494 ルカ・パチオリがスムマを出版

複式簿記をはじめて体系的に紹介した。現在我々が用いている複式簿記と差異がない。

1498 バスコ・ダ・ガマがインド航路発見

15世紀 利益の計算

毛織産業を始めとして比較的大規模に行われるようになっていた。

16世紀(1500 - 1599)

1519 マゼランの世界一周

1543 継続企業、期間計算、未販売商品の概念

これまで、口別計算(プロジェクト単位で利益を計算)していたが、継続企業における総合計算(すべての事業プロジェクトにおける利益の合算)を期間計算を用いて行われるようになった。

1581 オランダの独立宣言

ポルトガルの支配下にあった東インド貿易だったが、16世紀の末からインド洋に進出したオランダが、軍事力を持ってポルトガルの既知を征した。

17世紀(1600 - 1699)

1600 オランダのリーフデ号が豊後に漂流

1602 アラビア数字がヨーロッパで利用

ローマ数字:ⅠⅡ → アラビア数字:1, 2

ラテン語 → 口語

アラビア数字の普及によって科学が進み、それがわかりやすい口語の書籍になって人々の間で広がる。また、この時期、数字と言葉に加えて、時計も登場し、空間と時間の様々な計算ができるようになった。科学は新たな領域に進み、海図、大砲、絵画の遠近法、音楽の五線譜など様々な発展をもたらす所謂「数量革命」が起きた。「簿記」もその数量革命の一つだったといえる。「簿記」は「儲け」という掴みどころのないものを可視化する技術である。それはメロディーという記録できる五線譜によって音楽が発展したことと同じこと。

1602 東インド会社(VOC)設立

→世界で最初の株式会社、東インド会社(East India Company)の誕生

オランダで誕生した。当時、インドや東南アジアから特産品を欧州へ運んでいたが、一回の航海に多額の費用がかかっていた。そのため、航海ごとに出資を募り、その航海が成功すれば利益を配分するという形をとっていた。株式会社設立前、航海成功時には大きな利益を還元し、航海失敗時には出資したお金すら一銭も戻ってこないという可能性があり、一回の航海単位での投資は投資家にとって非常にリスクがあった。そこで、貿易会社という企業を作り、そこに出資者を募ることで一回ではなく数回の航海で得た利益を出資者に還元することで、投資家のリスクを減らすようなシステムが考えられた。(完全な企業の継続性、利益の期間計算をたずさえて発足した)

東インド会社設立に伴い、その株式を取引する場所としてアムステルダム証券取引所がオランダに設立された。これが世界で最初の証券取引所となる。しかし、当時の株式会社の実体はトップが国王に据えた国営企業だった。

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1652 英蘭戦争

1652 喜望峰の発見、インド航路の発見

造船技術や海図、コンパスの革新、そして船乗りの勇気がもたらした大航海時代。ヴェネツィアを経由せずとも直接インドを訪れて取引することができるようになった。これまでの海の主役イタリアだったが、新航路を発見したポルトガルとスペインの船が海の主役に変わった。もう一カ国、オランダ。当時、カトリック色の強いスペインの支配下にあった。宗教革命によってプロテスタントが増えていた事に対して、スペイン王国フェリペⅡ世は新教徒たちを弾圧、これに対抗して「独立戦争」→「ネーデルランド連邦共和国」の独立を宣言。自由を手にしたプロテスタントの国オランダにヨーロッパから宗教を超えて、「商人」が押し寄せた。

1666 ロンドン大火

16世紀あたりから樹木伐採の制限令を出すなど木材不足が深刻化

木材不足(大火で焼失した街の再建)→ 石材が用いられる

木材不足(新燃料「石炭」の発見) → 石炭が用いられる

18世紀(1700 - 1799)

1709 アイロンブリッジでのコークスによる製鉄

産業革命の重要なステップ、アイロンブリッジでの製鉄は世界最大となり、他の多くの産業を惹きつけた。

1720 南海バブル

南海バブル崩壊。南海会社が1711年に、スペインの植民地と貿易するため共同株式会社として創設。株価の相場は、財務破綻の噂によって大変動した。投資家たちは、共同株式会社の持分を失い破滅させられ、恐慌となった。

1762 ベアリングス銀行創設

イギリスで最も古い商業銀行創設。

1769 蒸気機関で特許取得

ジェームズ・ワットが蒸気機関の特許取得。工業化で、繊維工業、製鉄業、その他産業が利用し始めた。

1770 近代原価計算の創始

1754年に英国の製陶業者であるジョサイア・ウェッジウッドが製糖工場を創設し、1772年の恐慌で倒産を回避するために、製造原価の工場、間接費、および市場の構造を研究し、原価計算のパイオニアになりった。

1773 ロンドン証券取引所開設

運河、鉄道、その他施設が巨額の資金を必要とした。

1776 アダム・スミスが「国富論」の初版本を著す。

「見えざる手」(invisible hand)が有名だが、租税原則も記している。(租税:国家や府県・市町村などが、その経費にあてるために、強制的に人民から徴収する収入。)

1789 アメリカ連邦政府樹立

革命に勝利し、憲法が批准され、ジョージ・ワシントンが初代アメリカ大統領になる。

1792 アメリカ証券取引所開設

1799 東インド会社(VOC)活動終了

転落のきっかけ

英蘭戦争:アジアから似を積んできた船舶がイギリス海軍に片っ端から捕まって届かなくなった。

主な要因

  • ずさんな会計計算・報告:未熟だった会計制度

    →財務会計制度の改善と管理会計機能の充実

  • 高すぎた株主への配当:内部留保の不足と借入体質

    →コーポレート・ファイナンス理論の構築

  • 不正や盗難に対するチェック機能の甘さ:ガバナンス機能の不足

    →コーポレート・ガバナンスの整備

その後の会計制度・理論の発展に深く関わったということができる

またセグメント会計の発展につながる。商品ごとにトータルに損益を計算するセグメント会計の仕組みが存在しなかった。(CPAで言う原価計算などの分野?)

19世紀(1800 - 1899)

1825 最初の商業ベースの鉄道会社開業(イングランド:Stockton & Darlington Railroad)

1827 米国初の商業ベースの鉄道会社開業(米国:The Baltimore & Ohio railroad )

1830 世界初の鉄道会社(蒸気機関車の始まりと固定資産)

蒸気機関車の致命的な問題 → 初期投資があまりにもデカイこと(石炭の採取する際に湧き出る地下水を効率的に汲み出す動力として蒸気機関が誕生)

鉄道を開業するにはどれだけ固定資産が必要化について予算を含む事業計画が必要だった。リバプール・マンチェスター鉄道開業後、投資家の熱が増すとともに鉄道会社は株主の期待に答えなければならなかった。それは儲けを毎年増やし、株主に配当を出すこと。しかし、儲けを出し続けることはそれほど簡単ではなかった。このときに、鉄道会社自身が新しい概念「減価償却」という概念を作った。蒸気機関車を作るのにかかる巨額の支出は全額「支出した期」にに負担させるのではなく、それから数年かけて費用として負担、平準化させた。減価償却らしい手続きはそれまでも行われていたが、理論付けした上でこれを正式に採用したのは鉄道会社が始めてだった。減価償却はイタリアでの簿記の誕生に匹敵するかもしれない。会計上の儲けは収支から離れ、利益という形で計算されるようになったのだ。

1831 公認会計士が認められる

英国破産法の成立で、会計士が「公式の受託人」になることを政府が公式に認めた。

1837 駅と駅を結ぶ電信技術 電信

クックとホイートストーンが開発:電信を利用することで 安全かつ効率的に列車を運行することができるようになった

1837 駅と駅を結ぶ電信技術 モールス信号

モールスによるモールス信号が実用化され、通信できる情報量が増加した

1844 英国会社法成立、貸借対照表と勘定の監査

英国会社法が、正式な登録による業務創設を確立し、すべての上場会社の貸借対照表と勘定の監査をするため年度監査人を専任することを要求した。

1849 カリフォルニア ゴールドラッシュ

派生的に生じたのが雑貨屋リーバイ・ストラウス」、丈夫な作業用ズボンを売りつけ、大成功することになる。リーバイスのルーツ(鉄道会社以外の初期の企業)

1849 ジャガイモ飢饉

アイルランドでジャガイモが黒く腐る病気が流行して起こった飢饉。

長い間イギリスのプロテスタントと対立したアイルランドのカトリック教徒は厳しく弾圧された末に土地を奪われ、荒れ果てた西の地へ追いやられた。彼らにとって頼みの綱は、痩せた土地でも育つジャガイモだけ。そのジャガイモが取れないとなっては新大陸アメリカを目指すしか選択肢がなかった。(現在もイギリス本土はプロテスタントが多数、アイルランドはカトリックが多数)

人類の文明はヨーロッパを中心に発展して今に至るものが多くあるのだ。それを知ること、それはとても喜びなのではないだろうか。そして、その時代に生まれた芸術がそのときの時代を描写し強く物語っているように感じることができる。絵画や芸術の面白さの一つがそこにあるのかもしれない。

1851 ロンドン万国博覧会

アメリカ製の銃が人々の注目を集めた。製造の秘密を知りたがったイギリス人は、アメリカに視察団を送り込んだ。当時、標準化された製品の大量生産が行われており、産業革命の本家のイギリスの専門家たちにも大きな衝撃を与えた。

こうした環境のもとでフレデリック・テイラーの「科学的管理法」はアメリカで生まれた。土地が安いが、人件費の高いアメリカでは、経営者の関心が「人件費」と「労働者の管理」に向かっていった。

1854 デロイト(Deloitte)会計事務所創設

19世紀半ば、株式会社設立の自由化

→要件さえ揃えれば、誰でも自由に会社を設立できるようになった。

1867年:フランス:法で初めて登録制による会社設立が可能

1844年:イギリス:許可制から登録制に移行

1870年:ドイツ :株式会社の自由な設立が容認

会計士:それまで潰れる会社の破産処理を行う会計の専門家。破産処理と違い、監査が行われるようになった。会社が潰れないように手伝う前向きな仕事。

リパプール・マンチェスター鉄道が開通して依頼、その成功を見た実業家たちはイギリスに次々と鉄道を引き始めた。これによって、物資や人の運搬が用意になり、産業革命によって増えてきた製造業がますます盛り上がった。

1861 アメリカ南北戦争

北軍は開戦後直ちに別々の会社の路線をつなげて移動可能な状態を作り、兵士や物資の輸送を行った。これによって戦場が広範囲に拡大した。また、アメリカの工場で大量に生産された高精度の銃が登場した。

1862 米国で最初の連邦所得税成立

1869 大陸横断鉄道開通

連結決算の始まり

鉄道会社そのものがつながるようにになると、決算書もつなぐことが考えられるようになる。

1872 福沢諭吉が「帳合之法」を出版

日本で最初に出版された西洋の簿記書。

1873 日本初の株式会社

→日本で最初の株式会社は、渋沢栄一率いる第一国立銀行(現みずほ銀行)

世界では、オランダに続き、ニューヨーク証券取引所やロンドン証券取引所が設立されており、半世紀以上の遅れをとっていた。経済発展を見据える日本国において資産家をまとめて国策銀行を作ったのが最初だった。その後、第一国立銀行の株式を発行するために発足されたのが、東京株式取引所(1943年廃止)だった。その後、一般企業で一番最初に株式会社となったのは1893年の日本郵船だった。前身会社は岩崎弥太郎率いる日本国郵便蒸気船会社と三菱商会。三菱商会の前身会社は坂本龍馬が作った亀山社中だった。亀山社中は、薩摩藩や長崎承認などから出資を募り、貿易を通じて生み出した利益を出資者に還元していた。そのため、亀山社中が日本初の株式会社と言われることもある。

今の世界というのは、先人が切り開いた世界なのだ、色々な軸の歴史を持っている

宇宙や生物学というマクロな軸、私の数世代前という数世紀での軸

私に関与しないものと書こうとしたが、この世のものはどこで交差しているわからない

先祖がこの世の大地となり空気となり存在している。歴史を知ることで、自分が存在している今という時をより立体的に味わうことができる。すべてのものに歴史がある、それは今仕事で直接関わっているデータセンターにもあるのだ。

https://equity-investment.info/essence/origin/

https://kids.gakken.co.jp/rekishi/first/vol007/02.html

1880 英国勅許会計士協会 創設

創設時1880年に948人の勅許会計士が記録されている。

1886 米国ではニューヨーク州が公認会計士法制定により、CPAの資格を付与開始

1889 コカ・コーラとフランチャイズ契約

原液を売って、ボトリングの権利を売るフランチャイズ契約を始めた。正しい減量を使って、正しい手順でボトリングを行い、正しく保存・輸送する。すべてに「標準」を定め、それを工場に徹底させることで同じ味のコーラが作れるようになった。

19世紀後半 アメリカへの投資ブーム

→会計士の合併で大型化

次なる儲け先として新大陸アメリカ、会計士たちにも新たな仕事が飛び込んできた。投資先となるアメリカ企業の財務調査。アメリカのちで現地の会計士と一緒に事務所を作ったり、あるいはアギリス人同士で合併したりと大型化が起こった。クーパース・アンド・ライブランド、プライス・ウォーターハウスといった巨大会計事務所ができた。(他にもデロイト、トウシュ)小さな島国イギリスに対して、デカいアメリカ。19世紀の人、モノ、カネは、小さい方から大きい方へと流れた。

今のように一般に株式投資が浸透したのは、19世紀初頭のアメリカだった。西部開拓時代で、鉱山の開拓や石油の採掘、鉄道の建設など大きな資金力が必要な事業がいくつもあった。一方で、投資家となるアメリカ人も徐々に豊かになり、一定以上の富裕層が生まれた。そのため、需給が一致したことで、アメリカでは投資ブームが生じた。ヨーロッパ諸国では戦争などの情勢が不安定な時期もあり、資金をアメリカに回したいという思惑も重なり、輪をかけるように株式市場が大きくなった。

公認会計士の誕生

車両であれ、レールであれ、どんなものでもいつかはこわれて使えなくなる。固定資産は耐用年数を設定して、購入に要した金額をその期間で割らなければ、正しい利益を計算することができない。しかし、19世紀にはまだこの考え方は今ほど一般的になっておらず、例えば、車両を購入したときに全額を費用に計上してしまう会社も珍しくなかった。さらに、意図的に不正確な会計報告を行うことも横行していた。(粉飾)投資家の側でも、鉄道会社の経営や収益構造に詳しい人は稀だった。業績を好調に見せかけていれば、株式市場を通していくらでもカネを集めることができたのだ。鉄道株の投機で財を成した実業家ダニエルドリューはこんな言葉を残している。「内部の事情に通じていない人が鉄道株を買うのは、ろうそくの光を頼りに牛を買うようなものだ。」このような状況に投資家も黙ってはおらず、専門的な知識を持つ会計士によって監査を受けるように鉄道会社に要求するようになった。こうして1840年代には、現代まで続く会計事務所が次々と開業した。

1845:デロイト・トウシュ・トーマツ

1849:アーンスト・アンド・ヤング

プライス・ウォーターハウス・パーク

1870:KPMG

1854年、スコットランドで勅許会計士の審査基準が正式に定められた。公的な許可を受けた会計士(公認会計士)が誕生した。イングランドもこの基準に追従した。ニューヨークでは1849年に会計監査基準の検討が始まっていたが、公認会計士協会が設立されたは1887年だった。

1876:イタリア

1895:オランダ

19世紀末まで:フランス、ドイツ、スウェーデン、ベルギー

19世紀後半 会計ルールのグローバル化

→連結決算書が基本になる。決算書といえば連結決算書。連結の始まりもまた「鉄道業界」

イギリスからアメリカに伝わった鉄道建設は19世紀のはじめから一気に増加していった。中には甘い決算見積もりからスタートする鉄道もあり、やがて鉄道には淘汰の時代がやってくる。ここで経営の危なくなった鉄道企業を狙い撃ちするように安値で買収していったのがイギリス資本をバックに付けたJPモルガンなどの銀行資本だった。これによって、鉄道会社は単独の経営ではなく、銀行が支援する持株会社参加で経営を行うようになった。この連結決算が後にGEやUSスティールにも伝わり、20世紀になると多くの会社連結で決算する時代がやってきた。

19世紀後半、鉄道会社のおかげで証券取引所が発達した。公開株の半分以上が鉄道株であり、証券取引所は鉄道会社のために存在しているようなものだった。

19世紀後半 経営分析ブーム

「安全性分析(流動性分析)」に関心が集まっていた。決算書の比率分析は20世紀になりますます流行し、様々な財務比率が登場した。ただ、ひりつぶんせきから 経営状態を見抜くことは難しかったよう。なぜなら、もともと決算書が正しく作成されていなかったケースが多くあったから。アイリッシュ移民3世のジョーはハーバードで経営分析、信用評価などを学び、インサイダー取引などで大儲けした。

19世紀後半 電磁波を用いた無線通信

航海中の船舶とも通信が可能になり、航海の安全性が高まった。

19世紀後半 原価計算

外部との取引を記録することから一歩進んで、原価計算という内部の「製品原価」計算をするようになった会計の仕組み。外部記録から内部計算へ。ここから企業会計の外部報告の財務会計と内部利用の管理会計の二本立てになる。

19世紀後半 モルガニゼーションと鉄道会社以外での連結

ずさんな計画や経営によって経営難に陥った鉄道会社を次々と買収した。所有権を握りつつ経営再建させるその手法はモルガにぜーションと呼ばれるようになった。この時期に「持株会社」形態の巨大な会社がいくつも誕生した。(アメリカン、ゼネラル、ユナイテッド、ナショナルこうした社名のついた会社の殆どは業界を支配するために買収に次ぐ買収で規模の拡大を目指した。)グループ各社の株を保有するだけ。連結決算を行っていた鉄道会社にならい、製造業の持株会社も連結決算を始めた。(19世紀の企業経営は「規模」を目指し、続く20世紀前半には「効率」を目指す)

20世紀(1900 - 1999)

1903 監査済み財務報告書が公表

JPモルガンが、アメリカで最初の10億ドルの会社、U.S.スチールを創った。プライスウォーターハウスが最初の監査人に指名された。

1904 はじめての会計士世界会議

米国セントルイスで、米国、英国、スコットランド、オランダ、カナダが参加してはじめての会計士世界会議が開催された。

1909 社債の格付け(社債はこれ以前に存在)

米ムーディーズ・インベスターズ・サービスが米国の鉄道会社250社が発行した社債をアルファベットを用いて格付けした本を出版した。

1909 社債および公債の格付け

米スタンダード・アンド・プアーズが社債および公債の格付けを開始。

20世紀前半 西の新大陸へ、海を渡った移民と投資マネー

投資先の財務状況が手に入らない投資家に情報提供すれば儲かるという一儲けを企んだ会計士

鉄道会社ブームのあと放漫経営で潰れる会社も多くあり

当時の会計士の仕事は破産処理をする処理人として誕生(会計士がいれば会社危ない?)

会計士のニュービジネスとして監査(会社が死亡しないように会社の健康状態を確認)

監査業務誕生 経営者は資金調達先に対して結果を説明し、会計士が監査で聞く関係

20世紀前半 財務指標が注目される

→流動性分析、収益性分析などの各種の財務諸表が登場

アメリカの鉄道会社の中にはズボラな経営で潰れる会社も出てきた。こうなると「企業の安全性→流動比率」などの財務指標に興味を持つ投資家が現れてきた。

1914 第一次世界大戦 開戦

1918 第一次世界大戦 終戦

1919 動的貸借対照表を出版

期間損益計算の関係から貸借対照表を理解する理論が提起された

http://www2.plala.or.jp/dogcat/shuma-rennbahha.htm

20世紀前半 レーダーの開発

電波を送信して航空機に反射させ、その反響を捉えて位置を測る。ワトソン=ワットの実験は見事に成功し、この技術がレーダーになった。

1919 デュポン方式を発案した会社「デュポン」

→各事業がどれだけ設ければいいのか?の目標とそのために何をすべきかの方法を示した。

利益が黒字ならOK、赤字はNG、経営者なら誰でも知っている。ではどれだけの利益を出せばよいのかはどうだろうか。意外にそんなの知らないという経営者が多いのかもしれない。

多くの場合、便宜的に「対年度比」を使っている場合が多い。しかし、前年と比較するだけで良いのだろうか。前年はすごく良いかもしれないし、すごく悪かもしれない。

そこで、デュポン公式「利益は会社の規模に見合った分が必要だ」と考える。図体が小さい会社は儲けが少なくても良いが、大きい場合はたくさん儲けなくてはならない。

「資本利益率」:ROI = 利益率(利益/売上)×回転率(売上/資本)

会計原則・財務諸表とは我々の歴史が、人類が生み出したものなのだ

それだけで驚きを持って享受することができないだろうか

それは最初からあったわけではないのだ。本質を見ようとしないと見ることはできない。会計原則は動的なのだ。

1920 デュポン 世界初「事業部制組織」を採用

事業別にR(事業)とI(資産)を計算できるようになったことで、分業化が進めることができた。

1920 管理会計(Managerial Accounting)の始まり

シカゴ大学の会計学教授マッキンゼー氏が大学に管理会計という名の講座をスタートさせた。

経理担当者向けの予算管理を教えていた。これまでの会計は基本的に後追いの世界、過去の取引をデータ化して整理し、決算書を作る。これに対して、マッキンゼーの予算は未来志向、計画重視だった。後追いの結果論ではなく、「かくありたい」計画。まずは予算計画を作り、それと実績を比較することによって現場の管理を行う。当時は第一次大戦後の好況期にあったとはいえ、公共と不況が交互にやってくるブレの激しい世の中、予め数字計画を作る予算は経営者に支持された。従来の経済学とは異なる「有効需要」を元にした新たな学説、マクロ経済学誕生。(19世紀の企業経営は「規模」を目指し、続く20世紀前半には「効率」を目指す)

守りの会計 = 財務会計

攻めの会計 = 管理会計

1920 ゼネラルエレクトリック

  • 月賦販売の登場

個人向けの家電製品分野で「新たな販売手法」でGEの売上を激増させただけでなく、アメリカ人の消費マインドを変えてしまうほどのインパクトを与えた。家電業界や自動車業界において「たくさんつくる」という技術はすでに完成していた。あとは「売るだけ」。当時家庭には少しずつ家電製品も増えていたとはいえ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などはまだまだ高価でお金持ちしか変えない代物だった。当時の多くの会社は大量の広告宣伝費を使って、製品の知名度を高め、価格をできるだけ安くして売ろうとした「安く・広く」がアメリカンブランドの典型的な売り方。それに加えて月賦販売することを始めた。「借金をおそれない」アメリカン・スピリッツの誕生でもあった。大量消費社会の始まりでもある。そして、株を借金で買うことまでが流行し始め、大恐慌の引き金になった。

  • セグメント化の登場

カーネギーの製鉄、キャンドラーのコカ・コーラ、T型フォードなどこれまで単品販売だったが、GEの家電製品あたりから変化の兆しが表れた。白熱電灯から冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、掃除機と製品ラインナップをどんどん拡大した。製品別に販売部門を分けるセグメント化が行われた。製品別に売上を分けることは簡単でも、コストを分けるのは難しい。この時期からこの課題に取り組まれ始めた。管理会計のセグメント情報は「製品別」から「事業別」などへとどんどん発展していった。

1920 ラジオや蓄音機の登場

1927 日本公認会計士のルーツ

日本における公認会計のルーツ、計理士制度「計理士法」の誕生。当時は、試験を受けずとも大学や専門学校で会計学の単位を取得すれば計理士として認めれていた。

1929 大恐慌が始まる

1930 一般に認められた会計原則の用語

ジョージ・オリバー・メイ(米国会計の父と言われる)を委員長とする米国公認会計士協会(AIA, 現AICPA)の特別員会は、ニューヨーク証券取引所の株式上場委員会と共同作業に着手し財務状況の開示の改善を目指した。AIAの特別委員会は、初めて「一般に認められた会計原則」の用語が使用された。

1934 アメリカ証券取引委員会設立

アメリカ証券取引委員会(SEC)誕生、ジョーが初代長官

2つの改革

  1. 商業銀行と投資銀行の間に一線を引くグラス=スティーガル法

    破綻銀行の多くが預金を株式投資していた反省から、預金と投資の間にファイアーウォールが設けられた

  2. 証券法、証券取引法(会計制度の改革)

    それまで自主性を重んじる姿勢のもとで株主への情報提供は十分とはいえず、また粉飾まがいのインチキ決算も横行。そこで証券取引所で株式を公開している企業には、厳しい財務報告の体制が義務付けられることになった。さらにインサイダー取引や株価操縦の禁止など公正で透明な証券取引ルールが設けられた。2つの法律の新制度の指導・監督を行うべく新設されたのがSECだった。

公開企業の会計制度の根幹3つ

  1. 経営者はルールに基づいて正しく決算書を作成すること
  2. 正しく作成されたかどうかについては監査を受けること
  3. 決算書を投資家に対してディスクローズすること

(決算書の作成、監査のチェック、ディスクロージャー)

プライベートカンパニーとパブリックカンパニーの概念の登場

  1. プライベートカンパニー

    家族・仲間・ストレンジャー株主からの出資と借入だけで資金調達を済ませる

  2. パブリックカンパニー

    公開企業として果たすべき義務が増えるが株式公開液が手に入る

1938 SHM会計原則、米国会計基準の萌芽

アメリカ公認会計士協会の委託を受けたサンダース、ハットフィールド、ムーアの3人の教授によりまとめられた「会計原則に関するステートメント」通称「SHM会計原則」が公表された。体系としては、一般原則、損益計算書原則、貸借対照表原則、連結財務諸表原則の4部から成り立っており、一般原則は、資本と利益との区分の原則、保守主義、財務諸表の形式と用語を取り上げている。第二次世界大戦後の日本の「企業会計原則」に多大な影響を与えた。

1940 取得原価基準、実現基準、費用収益対応の原則

米国会計学会の委託を受けたペイント教授とリトルトン教授は、「企業会計基準序説」を出版し、米国会計会に多大な影響を与えた。取得原価基準、実現基準、そして費用収益太陽の減速などを論理的に提示した。

1939 第二次世界大戦 開戦

1945 第二次世界大戦 終戦

1948 日本証券取引法、公認会計士法

第二次世界大戦後、日本の経済社会の復興と発展のため、「監査と会計に関する職業的専門家」の制度化と「監査のプロ」が社会的に求められるようになった。会計士の資格が制度的に位置づけられるようになった。

1949 日本の「企業会計原則」公表

1950 IBMが電算機開発開始

1953年に会計に電算機の使用が可能になる

1950 日本で会計士誕生

公認会計士法により、1950年に392人の会計士が生れた。

1953 一般に認められた会計原則(US-GAAP)編纂

会計手続委員会(CAP)は、以前に公表した声明書をまとめ成文化した会計調査広報を出した。歴史的原価概念を基礎とした基本的な会計概念が、公認会計士によって開発されて、財務会計の多くの基本的手続きが公認会計士の声明書に基づいていた。(これまでアメリカ公認会計士協会の委託や、芸国会計学会の委託を受けた人が会計原則を作成していた。)

1950年代 コーポレート・ファイナンス、企業価値の概念

将来のキャッシュフローを複数年度にわたって計算する。企業の価値を明らかにする。「会社」を売り買いするのが当たり前の時代、IT・情報サービスなどの隠れた資産が多い会社の価値を計算する枠組みを提供した。

  1. 会社買収後の将来キャッシュフローを見積もる
  2. 将来キャッシュフローを現在価値に割引計算する

論理的に企業価値を計算するのがファイナンス

「会計」は過去から現在までの取引をベースにした記録・計算・報告の体型。

「ファイナンス」は未来の数字を扱っており、その意味で従来の会計とは個別の計算を扱う。

企業価値をあが得るためには将来キャッシュフローを増やすことが必要→そのためには投資の選択。管理の手法、在庫・売掛金・買掛の効率管理などを行わなければならない。ファイナンス各論に含まれる「あるべき論」は会計の枠組みにはなかったこと。

1959 会計原則審議会(APB)設立

1966 アメリカ会計学会(AAA)が「基礎的会計理論」

意思決定有用性アプローチは、情報利用者の意思決定に役立つ会計情報を考えようとしたもの。

1973 国際会計基準委員会(IASC、英国)

1973 財務会計基準審議会(FASB、米国)

1975 ビル・ゲーツとポール・アレンによりマイクロソフト社を設立。

1976 初めて成功したパーソナルコンピュータ

スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータを設立、2年後にアップルⅡを公表し、初めて成功したパーソナルコンピュータとなった。

1977 国際会計士連盟(IFAC)設立

国際監査基準や公会計基準を設定している。

1979 電子表計算を公表

アップルⅡ用に表計算ソフト「ビジカルク」を公表。

1979 キャッシュフロー計算書登場

キャッシュフロー計算書が世界的に用いられるようになる。

勘定があって(利益がでるが)銭足らず(キャッシュがない)減少が明快にわかるようになった。

1970年代 国際会計基準IFASの総論の議論開始

→国際会計基準

1986 英国サッチャー首相のもたらしたビック・バン(金融市場革命)

https://cedge.exblog.jp/1484759/

→あとで読む

1989 ベルリンの壁崩壊

→国際会計基準

80年代まで「国際」といえば「インターナショナル」、90年代になると、「グローバル」が用いられるようになる。グローブとは地球のこと。地球は「ひとつ」というのがグローバルの意味。つながりを飛び越えて「ひとつ」になろうとする世界の動きを象徴。

米露冷戦の終結、これによって、軍事利用されていたインターネット技術が民間に公開されてインターネット・バブルが生じた。株式投資の世界でもIT化が進められることになった。

1993年 ドイツのダイムラー・ベンツのニューヨーク証券取引所上場

→すでに世界的な高級自動車ブランドとして有名。資金調達面でのグローバル化を進めるべくニューヨーク証券取引所への上場を決断。証券市場でちょっとした騒ぎ。ドイツでは黒字だった同社が、アメリカ会計基準で決算をやり直したたところ赤字に転落した。同じ年の決算がある国では黒字、ある国では赤字。「国によって会計ルールがちがう」ことは多くの関係者は理解していたが、ダイムラーベンツほどの会社が「ドイツで黒字、アメリカで赤字」の事実は衝撃だった。

この事件があり、会計会でも「一つの会計ルール」を作ろうという空気が高まった。グローバルな投資が行われる時代には、国際的に統一からされた会計ルールが必要だ、そんな声に後押しされ、いよいよ国際会計基準の時代がくる。

「世界で一番のルールは俺だ」自信たっぷりのジャイアン・アメリカに対し、「こちらこそ新時代にふさわしいルールだ」と挑戦を挑むスネ夫・イギリス・U.S.GAAPとIFRSの調整は今もなお続いている。

1993 デロイト・トッシュ・トーマツ会計事務所

デロイト・トッシュ会計事務所に、1973年にトッシュ・ロス会計事務所と合併していた等松・青木監査法人が加わり、デロイト・トッシュ・トーマツ会計事務所となる。

1995年 Windows95

パソコン(パーソナルコンピューター)をインターネットにつないだ。

1996 金融システム革命

「〜2001年東京市場の再生に向けて〜」

優れた金融システムは経済の基礎をなすものであるとの考えのもと大蔵省(現:財務省、金融庁)の主導のもと行われた。

1997年 世界の航空会社がアライアンスを形成

1998 国際会計基準「コア・スタンダード」完成

国際会計基準 第39号「金融商品:認識と測定」の公表で、証券監督者国際機構が求めているコア・スタンダード(核となる基準)が完成した。

1998年 域内統一通貨ユーロが導入

1996年、金融市場の大改革「金融ビックバン」

これにより、情報が誰でも手に入る平等な取引、自由な金融市場によるネット証券参入で便利で安価な取引などが実現された。

https://www.fsa.go.jp/p_mof/big-bang/bb7.htm

1990年代後半 EBITDAの登場

Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation & Amortization

「利息・税金・減価償却費・償却費」控除前で計算した利益

上記の各項目は国によって金額の違いが大きいため。利息や税金は国の経済状態や税法によって金額が大きく異なること、各種償却費もその国のルール次第で金額が異なる

20世紀後半 情報通信の進展

20世紀の後半になるとネットワークでコンピューターと繋ぎ、情報を細かくパケット化して流して、到着先で再構築する技も開発された。このインターネット技術によって私たちは、メール、情報検索、金融取引までをネットワーク上で行えるようになった。鉄道から工業化と情報化の2つの流れが登場したことがわかる。ひとつが蒸気機関車から自動車、航空機へと広がった乗り物の工業化、もう一つが、駅間の交信からはじまって無線、インターネットへ広がった情報化です。20世紀後半、ヒトとモノは短時間で移動できるようになり、カネと除法は距離を超えて瞬時に決済・通信できるようになった。こうして私たちはとうとう「グローバル」という名の新世界へと到着した。

2000 国際会計基準の普及目標設定

欧州委員会は2005年までに国際会計基準を行きないのすべての上場会社に適用する方針を公表

2000 会計ビックバン

日本の証券取引法の財務諸表を「連結財務諸表」を中心とする制度に変更

21世紀(2000 - 2099)

2001 エンロン事件

アーサー・アンダーセン会計事務所が監査していたエンロンが会社破産法申請

大粉飾事件。同様の粉飾が他社でも見られたことから、当時のブッシュ政権を揺るがす事態になった。企業改革法を求める声が強まり、内部統制法(SOX:サーベンス・オクスレー法)が成立した。

2002 アーサー・アンダーセン会計事務所が有罪

司法妨害で有罪になる。SECに監査の資格を自主的に返還し消滅した。

2002 米国財務会計基準審議会(FASB)と国際会計審議会(IASB)基準収斂で合意

2005 欧州連合25カ国すべての上場会社7000社が国際会計基準(IFRS)適用で情報開示

2005 国際会計基準(IAS/IFRS)に収斂させることでEUと合意

米国SECは少なくとも2009年までに欧州連合の企業に「米国基準との差異調整表」を解消すべく国際会計基準に修練させることでEUと合意

2006 中国 国際会計基準に類似した新たな会計基準を上場企業に適用

2011 カナダ自国会計基準を放棄して国際会計基準に適用

今の社会、株式会社の恩恵がかなり大きいことを実感する

自分は今この時代に生きている

2019/07/22

この長い歴史を知って、自分は先人が蓄積した知恵を知ることができる

歴史を知って、会計の各概念が、いつ頃できたかということを立体的に見ることができるようになっている

引当金、償却費、これらの概念の目的もより正確に理解できるようになった。鉄道が生まれてから収益や費用を平準化することから生まれたのだ、発生主義の考え方等。基本的な知識があることでその知識内で概念をプロットして考えることができるようになる。そして、これまで断片的な概念だったが、歴史の上で何かしらの理由で生じた概念であることが想像できるようになり、一つの束として一つの概念を見ることができる。例えば、税効果会計の概念。これまで何故あるのか想像できなかった。今は、税法というのが会計とは違う成り立ちがあるからこの概念が城下ということが想像できる。そして、そこには、過去の人のいろいろな思惑を読み取る事ができる。(おそらくこれが生物学と違う面白さ、人が作ったもの。生物学とは科学。)

2019/07/23

生命とはなんなのか。会社とはなんなのか。

自分が関与していることを十分に理解せずに生きている人がどれだけいるのだろうか。

システム開発、それらの仕様などそれほど難しくないだろう。

4 - 19世紀イギリス|利益革命|

  • 石炭の活用から世界トップへ躍り出たイギリス

    ロンドンの大火石を用いた建造物、その背景には大火の他に木材不足イギリス各地で単行が発見され、炭鉱夫を悩ませる問題、湧き出る地下水馬を使って水を汲み出していたが、効率が悪いそこで開発されたのが蒸気機関ジェームズ・ワットが蒸気機関車へ発展

  • 蒸気機関車の始まりと固定資産

    蒸気機関車の幕開けから鉄道事故蒸気機関の可能性に軍関係者からも強い関心蒸気機関車の致命的な問題→開業までの初期投資があまりにもデカイこと鉄道を開業するにはどれだけ固定資産が必要なのかについて予算を含む事業計画が必要

  • 画家も株主も興奮した鉄道狂時代

    19世紀初め、写真の登場。詳細描画よりも、あえて大胆なタッチで躍動感を表現する画家ターナーが1844年に書いたリバプール・マンチェスター野江に表現されている躍動感と興奮は機関車だけでなく、そこに投資する人々の間にも広がっていた熱狂する株式会社の中、鉄道会社は株主の期待に答えなければならない。それは儲けを毎年増やし、株主に配当を出すこと。しかし、儲けを出すことはそれほど簡単ではない。そこで、鉄道会社自身が新しいルール「減価償却」という概念を作った

  • 19世紀の鉄道時代から始まった「利益」

    蒸気機関車をつくるのにかかる巨額の支出は全額「支出した期」に負担させるのではなく、それから数年かけて費用として負担、平準化させた。減価償却らしい手続きはそれまでも行われていたが、理論付けした上でこれを正式に採用したのは鉄道会社が始めてだった。減価償却はイタリアでの簿記の誕生に匹敵するかもしれない。会計上の儲けは収支から離れ、利益という形で計算されるようになったのだ。安定的に配当できる方法を模索減価償却、利益という概念の登場黒字倒産

5 - 20世紀アメリカ|投資家革命|

  • 西の新大陸へ、海を渡った移民と投資マネー

    →アイルランドのジャガイモ飢餓→アメリカ大陸への大量の移民→産業革命または鉄道株で一儲けした金持ちの投資マネー、アメリカに→投資先の財務状況が手に入らない→投資形に情報提供すれば儲かるという一儲けを企んだ会計士→鉄道会社ブームのあと放漫経営で潰れる会社も多くあり→当時の会計士の仕事は破産処理をする処理人として誕生(会計士がいれば会社危ない?)→会計士のニュービジネスとして監査(会社が死亡しないように会社の健康状態を確認)→監査業務誕生 経営者は資金調達先に対して結果を説明し、会計士が監査で聞く関係

  • 崩壊前夜、ニューヨークラブソディ

    19世紀後半には「経営分析」ブームが起こっていた。「安全性分析(流動性分析)」に関心が集まっていた。決算書の比率分析は20世紀になりますます流行し、様々な財務比率が登場した。ただ、ひりつぶんせきから 経営状態を見抜くことは難しかったよう。なぜなら、もともと決算書が正しく作成されていなかったケースが多くあったから。アイリッシュ移民3世のジョーはハーバードで経営分析、信用評価などを学び、インサイダー取引などで大儲けした。第一次世界大戦の勝利もあり、1920年代のアメリカの経済は絶好調

  • 大悪党ジョー、まさかのSEC初代長官に就任

    1929年10月24日、大恐慌が始まる株価の暴落の原因について考える必要があったのと、この難局を切り抜けるのに相応しいリーダーについてお考える必要があった。すぐそこに大統領選挙が迫っていたから→従来の経済学とは異なる「有効需要」を元にした新たな学説、マクロ経済学誕生→アメリカ証券取引委員会(SEC)誕生、ジョーが初代長官→投資家保護のためのディスクロージャー制度 (決算書の作成、監査のチェック、ディスクロージャー)

  • パブリックとプライベートの大きな分かれ目

    →株主と債権者のための報告書→株主と債権者と投資家のための報告書→内部統制→国際会計基準→EBITDA

6 - 21世紀グローバル|国際革命|

  • 自動車にのめり込んだ機関車運転しの息子
  • 開運とITで覇権を握ったイギリスのグローバル
  • 金融資本市場のグローバル化と国際会計基準
  • 増えるM&Aとキャッシュフロー計算書

7 - 19世紀アメリカ|標準革命|

  • 南北戦争から大陸横断鉄道へ
  • ライバルを潰しながら巨大化する企業
  • 南部から北部へ旅立つコカ・コーラとジャズ

8 - 20世紀アメリカ|管理革命|

  • シカコからはじまったジャズと管理会計の100ネン
  • 分けることでわかる「管区」由来のセグメント
  • フランス系・デュポンの起こした管理会計革命
  • クロスオーバーが始まった音楽と会計

9 - 21世紀アメリカ|価値革命|

  • マイケル・ジャクソンに学ぶ価値(バリュー)思考

    ポール・マッカートニー(ビートルズ)の権利の売買投資のコストとリターン、リターンを重視する新しい分野(企業価値)の起点

  • 企業価値とは何か?

    資産を金額評価するには原価と時価の2つの考え方がある資産評価には古くから、取得原価評価が原則とされてきた。その背景は明快である。それは会計はもともと「お金の動き」を記録するものだったから。金勘定が大切なので、買った気にいくら支払ったかという事実に着目する。しかし、企業が長期的に活動するようになると原価評価にも問題が目立ってくる。シアンが長期に保有されると、原価による評価はときに現実離れした金額になる。時価=リターン重視の声が高まったのは投資家の存在感が増し、ビートルズが活躍した1960年代のこと。産業シフトによって隠れた資産が増加。工業化社会から情報化社会への産業シフトがじわじわと進み始めていた。会社の適正価格、資産の価値は将来に「期待できるリターン」。将来のキャッシュフローの予想から計算される。コーポレート・ファイナンスと呼ばれる新領域として誕生した。財務会計・管理会計といった「Accounting」から抜け出し、コーポレート・ファイナンスが別領域として形成した。