「映像の世紀」デジタルリマスター版 第11集「JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和」

明治時代 明治元年-明治44年(1868-1911)

欧米では、日本を題材にした映画がいくつか作られた。ゲイシャガール、日露戦争を太宰として映画明治は文学においても多く有名な作品が残されている。(当時の文章を読むには当時の状況を知っておく必要がある。)日露戦争 明治38年(1904)=>明治39年(1905)ポーツマス条約満州と朝鮮半島の権益がきっかけである。西洋の学問の成果を集め、一世代余りのうちに西洋の文明を取り入れ勝利した日本を西洋諸国は驚くとともに称した。(粘り強さ、起点、知的な対応)また、アジアに民族的な誇りをもたらした。アジアの人々は西洋人以上に熱狂していた。アジア人のアジアという声が沸き起こったのである。白色人種と有色人種との間で戦われた戦争は有色人種が勝った。西洋人は日本による中国の統一を恐れるようになった。韓国併合日露戦争によってロシアから韓国の主導権を獲得し、統監府を置いた。(初代統監:伊藤博文)日本式の教育や韓国軍の解体を行うなど、内政への干渉を強めていた。それに対して反日武装闘争が起こるなど日本に対する不満が増大する。伊藤博文はハルビンで青年に暗殺される。(日本の法律で処刑されるが、のちに独立運動の英雄として称えられる。)伊藤博文の暗殺から一年後、朝鮮半島を支配することになる。(韓国併合(1909)、戦後まで支配が続く。)鉄道、政権、産業開発の技能など多くの分野で影響を与えることになった。

大正時代 大正元年-大正14年(1912-1925)

日露戦争から7年後、五大国の大国として名を連ねるようになった。1915年:パナマ太平洋万博(サンフランシスコ)日本庭園、相撲ロシア革命=>シベリア出兵、7万人に及ぶ兵士を送った。日本の兵士の多さに驚いた。日本軍が共産主義勢力を打ち破ることに各国が期待していた。第一次世界大戦の連合国であるイギリスに訪問した皇太子を評価した。日清戦争以降、台湾を支配していた。当時台湾は多くの民族が暮らしていた。日本語教育が行われ、日本式の農業が教えられていた。関東大震災 大正12年(1923)東京横浜の大部分が廃墟となった。ほとんどがなくなった。世界史的な大事件として各国で報道された。横浜居留地も多く被害を受けた。“このような大地震に対して東京が秩序の正しさを保っていることに驚かされた。規律正しい日本人対して敬意を抱かないわけにはいかない。”明治初め以来移民として、多くの日本人がアメリカに渡った。(カリフォルニア)日本人がアメリカ人の生活を脅かす可能性があるとして移民排斥運動がおこった。異常なほどたくさんの子供を産んでいるとか、差別的な見方も多くあったとされている。質素で勤勉で長時間働く意欲がある。アメリカ大陸に大和民族を繁栄させようとしている民族であるといった見方があった。#

昭和時代終戦まで 昭和元年-昭和20年(1926-1945)

日本の生命線、国際連盟脱退、昭和天皇の即位を祝福するラジオ(朝鮮半島、満州、台湾にも)西洋文明と東洋の文化が入り混じった日本。洋風酒場、カフェは昭和に始まる。“日本は、ハイカラ、カフェなど不思議な世界が広がっている。ちんどん屋などの滑稽な音楽はヨーロッパ人にとっては非常に魅力的である。本当に愉快だからやっているだけなのか、それとも時代の流れゆえにやっているのか。何か悲しみがあるのではないか、西洋のダンスを踊る少女は全く気の毒に思う。彼女らの中には全く異なるリズムが流れているのではないか。性格は朗らかで微笑していながら、その裏には哀愁と深い感傷を抱いている。”犬養毅首相が暗殺される。(大礼服:、明治時代から太平洋戦争の終戦まで使用されていた、日本におけるエンパイア・スタイルの宮廷服(Court dress)。明治初頭に導入され、その後大日本帝国憲法発布に至る立憲君主制確立の過程で整備された、いわゆる「大日本帝国の服制」における最上級の正装である。)日露戦争で主導権を得た大連を満州の玄関口とした。満州に海外投資の半分以上を費やし国運をかけていた。満州国の建国に向けていた。

  • 昭和6年(1931)満州事変勃発:南満州鉄道が爆破されたことを口実に東北部の全域を征服した。大連港:国際連盟が中国に派遣される。日本の軍事行動は自衛のためだとしたが、正当な自衛措置ではないと国際連盟は評価を下した。世界の秩序を乱している、その秩序を乱しているとした。
  • 昭和7年(1932)満州国建国:翌年国際連盟を脱退。日本は孤立化の道を進んでいくことになる。
  • 昭和9年:ベイブルースをはじめとする大リーグが来日し、これ以降プロ野球が始まる。
  • 昭和12年(1937):ヘレンケラー(1880-1968)が来日する。
  • 昭和12年:盧溝橋事件=>日中全面戦争勃発。列強が権益を持つ中国での情勢は世界各国で伝えられる。南京に出兵(1938)南京大虐殺日中戦争が始まって以降、アメリカのニュース映画社は日本を経済的な脅威として描いたものを多く作成し、アメリカは反日感情を露わにしていた。誇張したものが多く描かれている。当時のニュース映画からアメリカが日本に対して不信感を強めていたことを表している。こののち、中国を巡るアメリカと日本の対立は深まり、ついに衝突することになった。
  • 昭和16年12 月8日(1941)ハワイ真珠湾を奇襲攻撃する。日中戦争が長引く中、解決を求めて南方に攻撃を進めそれに対してアメリカが経済制裁を行い、アメリカに攻撃を行うことになった。東条英機=>米英宣戦布告。11万人もの在米日本人を強制退去した。日系人収容所戦争が始まって士気を高めるために様々な映画が作られる。近代的な生活をしているが、家に帰ると中世的な生活をしている。天皇に命を捧げるのだと教えられる。戦いの初期の段階で勝利を治めたものの、後に厳しくなる。大東亜会議を開く。(1943)日本こそ欧米の侵略を抑えた最初の国だった。インドの民衆は独立を祈願している。インドネシアに対しても。“日本の侵略が始まったころ、兄のような親密な態度をとっていた。しかし、新聞に日本軍勝利の文字が少なくなるにつれて、インドネシアに対する風当たりが変わってきた。馬鹿野郎とビンタが飛び出すようになった。”インド独立運動の指導者ガンジー“崇高な希望を持っていたけれども、帝国主義の野望に過ぎない状態なっている。また、アジアを解体する張本人になろうとしている。欧米列強に肩を並べたいという日本人の野望であった。中国を侵略したり、ドイツやイタリアと同盟を結ぶことによって成し遂げられるものではないということは明らかである。あなた方の友ガンジーより”
  • 昭和20年8月(1945)広島・長崎に原子爆弾を投下。ポツダム宣言受諾。第二次世界大戦は終了した。

昭和時代 昭和20年-昭和63年(1945-1988)

  • 昭和20年連合国軍最高司令官マッカーサーが来日。(7年に及ぶ日本占領が始まる。)日本人は占領されることに恥じていたのか、恐れていたのかわからないが、家の中に閉じこもったままだった。
  • 昭和20年9月2日(1945)戦艦ミズーリ上で調印する。
  • 昭和21年(1946)人間宣言(昭和天皇の日本巡航)
  • 昭和21年5月極東国際裁判(東京裁判):“地球の半分以上の人々がこの侵略戦争の殺人行為によって.多大な量の資源を失い、計り知れないほどの血を流した、この世界を巻き込んだ戦渦の責任者を裁判によって罰しないということがあり得ようか?”“戦争は合法的であるからだ。合法的な殺人はいかに残虐であったとして、犯罪ととして責任を問われたことはなかった。広島に原爆を落としたものに対しても責任を負わせなければならない。”
  • 昭和25年(1950)朝鮮戦争勃発。米ソの対立が明瞭に表れた。ロシアからの帰還兵は赤の思想を吹き込まれ共産主義の手先になってかえってきたとアメリカは報じた。極東での共産主義の攻撃に立ち向かわなければならないと報じている。ソ連側のニュースでは、日本をアメリカの軍事拠点にしようとしているとアメリカを非難している。
  • 昭和25年(1950)朝鮮戦争が始まって警察予備隊が設置される。東西冷戦が始まって対日政策を大きく転換した。日本が資本主義の一躍をになうことを願った。アメリカの支援は必要であるが、それぞれの国で重荷を背負う必要がある。日本の安定こそ東アジアの安定にとって不可欠である。共産主義の圏外においておき、巨大の金の力がアメリカのためにフルに活用する必要があると考えた。吉田茂第21回メーデー中立を唱え、ロシアに対しても条約を結ぶべきだとする全面交渉論がわき起こる。対日講和会議が行われる。東西冷戦のさなか、日本との講和会議は国民の注目となり、初の全米向けのテレビ中継となった。日本は48カ国との講和に署名した。講和条約の調印とともに、日米安全保障条約にも調印=>引き続き日本にアメリカ軍が駐留することを認めるものであった。
  • 昭和27年:第23回メーデー(安全保障を巡る激しい論争がおきる。)
  • 昭和28年(1953):テレビ時代の幕開けである。その後の日本の姿はブラウン管を通して世界に伝えられるようになった。明治(開国)=>戦後(アメリカによる支配)=>今深刻な食料不足が起こっていた。皆が、自分がそうであると思うようにする必要はない。自分にとって良いと思いことをすればよいだけの話である。大東亜共栄圏現代の西洋的な物事は明治以降に流入してきたもの。それ以前に入る余地はなかった。
現代社会を理解しようと思えば、まず、明治以降の近代日本を知る必要があると思う。
現在の政治に対しても歴史軸を踏まえてみることができるだろう。自らの頭で考えることができる。
世界は急速に変化している。それを味わえるかどうかは自分が味わおうとするかどうか次第。
自分にとって何が重要で、何を優先すべきであるのか。