よみがえる第二次世界大戦 第3回 「人類の“悪夢”」

ドイツとソビエト

開戦から3年が経った1942年秋ヒトラーの表情に焦りの顔。

1942年11月19日スターリングラードでソビエト軍による反撃作戦が決行される。兵力や戦力の数で、ドイツ軍を圧倒していた。しかし、ヒトラーは撤退や降伏を認めようとせず、あくまでも街の死守を待ち望んでいた。1943年1月31日ソビエト軍がスターリングラードを侵攻し、ソビエト軍の勝利によって、スターリングラードは取り戻される。

戦死者およそ30万、一方、ソビエト軍の戦死者50万人。この戦い以降ドイツ軍の勢いは減衰していった。転換点となる。この頃からヒトラーは健康状態に不安を抱えていたと考えられている。ヒトラーにはパーキンソン病の兆候が現れていた。ヒトラーは戦況が悪化するのと歩調をあわせるように、ユダヤ人に対する迫害をする政策を強めていた。ソビエト地域でのユダヤ人の迫害。この政策は1942年1月ベルリン近郊で行われた会議によって、ユダヤ人迫害が最優先政策であると決められた。全ヨーロッパから650万人のユダヤ人をアウシュビッツに収容する計画だった。

この頃、ソビエト軍はドイツ撃滅のため進軍していた。同じ頃、連合軍によるフランス上陸作戦も計画さていた。

ドイツと連合軍

1944年6月5日ノルマンディー地帯に静かに上陸する。彼らの任務は陸上で敵の後方を攪乱すること。ドイツ軍は不意をつかれることになる。連合軍の計画では32万の将兵を送り込む計画を立てていた。

そのころ、アメリカは第二次世界大戦をきっかけに軍事産業が盛んになり、超大国になった。

フランスでは、ドイツ軍の侵略に抵抗するレジスタンス運動が活発になっていた。それに対して、ナチス軍も殺戮を繰り返していた。1944年8月17日最後にパリを破壊するようにヒトラーに命令されていた。8月25日ルクレール将軍率いる自由フランス軍がパリに到着し、ドイツ軍は降伏。パリは4年ぶりに解放される。

ヒトラーは兵器開発を行い、ドイツ領土内から、イギリスに投下することが出来るミサイル開発を行い、ノルマンディー上陸作戦以降9ヶ月で2万発以上が投下され2万5千人のイギリス人が死傷した。

連合軍はドイツに対して無差別爆撃を加速させていった。このような中、早く戦争を終わらせようとドイツ軍の中でも考えられるようになった。戦争の被害がこれ以上拡大する前にヒトラーを暗殺しようと考えるようになった。しかし、最初の暗殺計画は失敗。

そんな中、米英連合軍がライン川を渡り、ドイツ国内に侵攻しだしていた。一方東部では、ソ連による進軍が進んでいた。

核兵器開発

1939年アメリカは核兵器開発に乗り出す。ナチスドイツの迫害を逃れ、アメリカに亡命した人々が、ナチスドイツが先に核兵器を開発するかもしれないとルーズベルトに伝えた。

ユダヤ系の物理学者が多く参加した。

日本とアメリカ

ノルマンディー上陸作戦が行われた数日後、アメリカは太平洋上でも大艦隊による作戦を結構していた。日本本土を爆撃するための拠点としてサイパンを攻撃する。

1944年6月11日サイパン島を爆撃し日本軍の陣地を壊滅させる。15日上陸作戦を実行。わずか3日で日本軍のほとんどが殺戮され、その後残った日本軍で戦闘するも全滅することになる。その後、アメリカ軍は、フィリピンの奪還を目指した。首都マニラでは、日本軍とアメリカ軍による激しい戦闘が半年間続くことになる。続いて、1945年2月23年硫黄島の戦い。死傷者の数ではアメリカの方が多く、本土決戦をするとなると、どれだけの死傷者が出るか思案するようになった。

<戦後に関しての会談>

この頃になって、戦後のことが話し始められるようになった。

ヤルタ会談:チャーチルとルーズベルト、スターリンによる首脳会談を行う。

米は露に対して、対日戦線に参加するように申しで、樺太千島の譲渡を引き換えにそれに応じた。また、戦後ドイツの分裂統治など戦勝国による世界の分割案が話し合われた。東西冷戦の出発点となる。

ドイツ降伏

ドイツ帝国は崩壊の危機に瀕していた。ソビエト軍がベルリンを包囲していた。1945年4月16日ソビエト軍のよるベルリンの攻撃が開始された。ヒトラーの熱狂的な崇拝者がヒトラーの存在を支えた。4月30日ヒトラーは自殺。ソビエト軍は5月2日ドイツの国会議事堂を占領。ナチス協力者への制裁が行われる。各地の強制収容所は解放される。ドイツが降伏する。

日本降伏

マリアナ諸島からアメリカ軍の戦略爆撃機B29が発進し、日本本土に対して、無差別の攻撃を行った。3月下旬アメリカ軍は沖縄への侵攻作戦を実施、日本軍は神風特攻隊を中心に迎え撃った。4月1日沖縄本島に上陸3ヶ月近く続き、沖縄県民12万人が犠牲となった。その後、二発の原子爆弾を広島と長崎に投下した。8月14日無条件降伏をした

1945年9月2日東京湾にアメリカイギリスソビエトをはじめとする長官がアメリカの戦艦ミズーリに乗って現れる。第2次世界大戦の終焉を示す日本の降伏文書の調印に立ち会うため。6年に渡った第二次世界大戦はここに終結する。民族同士が敵対し、人間が人間に対して牙を向いた。今後このようなことがあってはならないと人類は心から願った。

戦場では彼らの命に重みはなかった。