よみがえる第二次世界大戦 第2回 「日米開戦」

1939年ナチスドイツのポーランド侵攻によって始まった以来6年間、60カ国が参戦し、一般市民を巻き込んだ戦争となった。大量殺戮と破壊の時代となる。

1941年12月8日未明(日本時間)、ハワイ真珠湾攻撃

太平洋海上の空母から攻撃隊が発進する。アメリカ軍の不意をつく奇襲攻撃だった。「とらとらとら、我奇襲に成功せよ。」

真珠湾攻撃までの背景

真珠湾攻撃出撃を前に出陣の杯をかわす。3600人以上の死傷者が出たと考えられている。しかし、空母艦隊は無傷のままで、時代遅れとなった戦艦ばかりの攻撃と今後の戦況に大きく影響する致命的なミスをおかす。翌日フランクリンルーズベルトは日本に宣戦布告する。アメリカはそれまで第二次世界大戦への参戦に反対していたアメリカ国民が主戦論へと変わることになる。

1930年代以降日本軍は中国への侵略をしていた。日本軍は中国の都市を次々と支配下に置いていった。中国での利権を狙うアメリカは、日本軍の勢力拡大を阻止し隊と考えていた。その日本の動きを牽制していたのがフィリピンの米軍基地であった。その後ろにはマレーの天然ゴム、インドネシアなどの石油など日本にとって戦争をするのに必要な物資があった。1940年フランス領インドシナ(現在のベトナム)は日本軍の進駐を受け入れる。東南アジアへの進行を進めていた。

そんな中、アメリカは日本への資源供給を停止させ、金融資産を凍結するなど経済制裁の包囲網をつくり、それによって日本は追い込まれていった。(日本は当時、イギリスフランスと並ぶ強力な海軍を持っていた。)

当時の日本は、天皇への忠誠心を叩き込まれていた。昭和天皇は生物学者でありながら、現人神であった。しかし、軍隊も天皇の下にありながら、実際の権力は軍隊にあった。

攻撃以降

東南アジア

1941年12月8日、真珠湾攻撃と同じ日にイギリスの植民地香港を攻撃、マレー半島にも上陸。イギリスがシンガポール防衛するため派遣していたプリンスオブウェールズを日本軍が沈没させる。これは世界に衝撃をもたらした。真珠湾攻撃の翌日にナチスドイツがアメリカに対して宣戦布告する。ドイツと日本は同盟国であったが、ドイツ軍が助ける必要はなかった。なぜドイツが日本を助けたかは、ソ連に対して戦争協力するだろうという考えがあったのだろうと考えられている。

イギリスはアメリカ軍が味方につくという、待ち望んでもないことになった。しかし、その一方で、わずか18日でイギリス領香港が日本軍の手に落ちた。また1942年イギリス軍の要塞シンガポールも陥落する。10万人のイギリス軍が捕虜となることになり、これはイギリス史上最大の降伏となった。これらの捕虜は建設作業など過重な労働によって、多くがなくなったとされている。次にアメリカ軍駐留するフィリピン侵略をする。ルソン島を占領しアメリカ軍フィリピン軍を捕虜とする。日本軍は、真珠湾攻撃から5ヶ月太平洋連合軍を駆逐し太平洋の半分を占領する。電撃的な勝利を治めていた。

ヨーロッパ

この頃ヨーロッパでは、イギリス軍は反撃の準備を整えていた。大型爆撃機で夜間攻撃を目論んで、1942年3月8日に攻撃をする。モスクワまで30kmの地点まで侵略して多くの西ヨーロッパを支配していた。しかし、ロシアの反撃によって200km後退を余儀なくされる。1942年、日独伊が全ての戦線で優位を占めていた。

アメリカ

日本軍による進行を見たアメリカ人は日本軍の本土上陸を恐れるようになり、西海岸では日系アメリカ人の排斥運動が始まった。それによって、日系人と日本人移民の住居の強制的な立ち退きが命令された。砂漠地帯の強制収容所に治められた。その中で6000人がアメリカに忠誠を誓い通訳などとして太平洋戦線に赴き、2万人がヨーロッパでドイツ軍として働くことになった。V(勝利)のために労働に参加しようと言うのが合い言葉となっていた。

日本

アメリカは日本本土を奇襲爆撃するという作戦を打ち出す。1942年4月18日爆弾を投下した。東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸に空襲を受ける。

日本はそれに対して、ミッドウェイを奇襲攻撃しようとするも、アメリカに暗号を読み取られており、この6月5日の戦いで、アメリカ軍は空母一隻、日本軍は四隻を失うことになり、日本にとって最初の大きな敗北となった。そして、この戦いが、重要な転換点となる。

また、当時日本は南進を続けていた。連合軍の補給基地となっていたオーストラリアも重要な攻撃目標だった。日本軍の攻撃に対して、準備を整え、パプアニューギニアで対戦することになる。偵察中のアメリカ軍が、日本軍がガダルカナル島に飛行場を建設していることを発見する。これは、同盟国のオーストラリアにとって驚異となるとして、1942年8月アメリカ軍は初めての上陸戦線を挑む。日本軍は無警戒でその日のうちにガダルカナル島を占領し日本人を駆逐する。その後、ガダルカナルは日本の攻撃目標となり、大勢の日本兵が送られることになる。3万人あまりの日本兵が送り込まれる、十分な装備、病気への予防などないまま兵士たちは無謀な戦いを強いられた。戦闘は半年あまり続いた。アメリカ兵は1500人、日本兵は2万人あまりが命を失うことになった。しかし、この戦闘も第二次世界大戦の中では極小さな戦いにすぎなかった。

ドイツとソビエト

モスクワ攻略に失敗し、膠着状態が続くドイツとソビエトの戦い。戦況を一気に打開することにした。兵力を増大。500万人+80万人、イタリア30万人を投じる。しかし、その中で故郷に帰ることが出来たのはわずか1万人だった。ルーマニアやハンガリーなどの同盟国なども出兵した。ドイツは資源を獲得するためコーカサス地方、工業地帯のスターリングラードへの侵攻を始める。猛爆撃によって、戦車の製造工場も瓦礫の山となる。ソビエトにとっても失ってはならない都市をドイツ軍が制圧することになる。しかし、この頃の日本と同様にドイツの快進撃には陰が見え始めていた。

我々はどう生きるのか