NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた」

米ソの謀略戦

  • 1920年:共産主義者の赤狩り。

資本主義(西側)のアメリカ、社会主義(東側)のソビエト。米ソは直接戦争することは避け、世界中で代理戦争が行われた。冷戦の時代の米ソの謀略戦を明らかにする。

  • 1945年:戦後、ロシアとアメリカによりナチの科学者の争奪戦が行われた。ミサイルや化学兵器を急速に進化させた。1600人を超えるナチの残党、戦犯の容疑を免れ、米国に渡った。後にアポロ計画を担った。
  • スパイ工作の専門家、アメリカのソビエトの機密情報を提供する代わりに戦犯を逃れた。CIA。

KGB:秘密警察、国内で人民を弾圧し、国外でスパイを実行した。ヨシフ・スターリンは秘密警察に命じてソビエト国内に存在するスパイと思われる人物を処刑した。政府機関を始めとして、1000人余りのスパイをアメリカに送り込んでいた。アメリカ財務省次官補、ルーズベルト大統領の側近首席秘書官もソビエトのスパイだった。ソビエトの最大の狙いは、アメリカから核兵器の情報を盗み出すことだった。原爆の秘密基地にもスパイを送り込み、最高機密を次々と盗み出した。

  • 1949年:ソビエトの原爆実験
  • 1955年:ソビエトの水爆実験。原爆は4年後に、水爆は5年後にアメリカに追いついた。

ニューヨークでは避難訓練が行われた。どこかに共産主義のスパイが潜んでいる。赤狩りがエスカレートしていった。議会で疑われた人の尋問が行われる。ハリウッドは赤狩りの格好の標的とされた。大スターが議会を訪れ、さらし者にされた。ロナルド・レーガン、売れない俳優だったが、赤狩りに協力的で注目を集めた。1985年、レーガンはFBIのスパイだった。ハリウッド俳優組合、政府を批判するものを密かに監視し、FBIに密告した。FBIは国内、CIAは海外を担当する。

マリリン・モンロー。ロバート・ケネディと仲良かった。大統領の弟のロバート・ケネディ。FBIのフーバーの記録に残っていた。

  • 1953年:スターリン死亡。

アメリカの秘密工作

石油利権を独占していたのはイギリスだった。当時のモサデク大統領はイギリスの利権に抗議した。アメリカは共産化しソビエトに石油が奪われることを懸念した。

CIAを仕掛けたクーデーター。モサデク大統領は国家反逆罪で逮捕され、クーデターは成功し、新米政権を作り、アメリカの石油会社が利権を握った。

  • 1951年:アーバーダーン製油所
  • 1979年:イラン革命:←アメリカへの怒りが爆発することになる。

反米政権を次々と転覆させていく。

壁の向こう側

街自体が分断されたベルリン。東西冷戦の最前線。西東で接する窓も封じられた。命がけの逃亡を試みる人。旧東ドイツ。密告を奨励し、国民の7人の1人が協力した。盗撮は毎日続けられ、膨大な映像が撮影された。西ドイツの親戚に連絡を撮っただけで監視された。24時間広場は監視された。市民から自由を奪っていた。シュタージの収容所:密告した人も密告された人も心を病んだ。

核兵器

  • 1961年01月20日:ジョンエフケネディ大統領政権が誕生。
  • 1962年:キューバへの核兵器輸送の疑い、ソビエトに潜伏するスパイから連絡が入った。核弾頭を搭載できるミサイルが持ち込まれていることが確認された。
  • 1959年:キューバ革命。カストロが新米政権を倒し、アメリカの武力侵攻を恐れたカストロはソビエトとの軍事協力を仰いだ。

アメリカの主要都市すべてを射程することができる距離に核の脅威ができたことに。ケネディ大統領は、キューバ近くの海上封鎖することをした。核シェルターが売れ、スーパーからは食料品が消えた。

ソビエトは、ペンコフスキーがスパイ直後であることを把握して、ペンコフスキーを泳がせ、逆にアメリカの動向を汲み取ろうとしていた。監視に気がついたペンコフスキーは密かに亡命の準備を始めた。

  • 1962年10月27日:ソビエト軍がアメリカの偵察機を撃墜した。ソビエトへの先制核攻撃をケネディに相談した。

カーティスルメイ、第2次世界大戦中。ソビエト全土に広島型46万個分、数億人。北半球全土が放射能に汚染される計画を立てていた。核ミサイルの発射基地はアジア、沖縄にあった。米軍統治下の沖縄。ミサイル基地に1300発の核弾頭が密かに持ち込まれていた。ケネディ大統領、ルメイ空軍参謀総長の進言を退けた。ペンコフスキーの話を分析した結果、報復は避けられないという結論だった。米その間で妥協点を探る戦いが続けられた。

  • 1962年10月27日:ソビエトが譲歩した。ソビエトがミサイル撤去を提案した。大統領が冷静に対処できたのは、ペンコフスキー文章のおかげだった。世界の運命を左右する決断に、機密情報がこのときほど威力を持ったことはない。世界は破滅をのがれた。
  • 1963年05月16日:ペンコフスキーはKGBに拘束され、処刑された。
  • 1963年11月22日:ケネディ大統領暗殺。容疑者オズワルトを輸送中に暗殺され、事件の真相は謎になった。リンドン・ジョンソン大統領

ベトナム戦争

1950年、南北ベトナムの内戦に介入していた。ベトナム共和国(南、民主主義)、ベトナム民主共和国(北、社会主義)。南はアメリカの支援、北はソビエトの具維持援助を受けていた。

第二次世界大戦を遥かに超える爆弾を投下、50万の兵士をベトナムに送った。「ドミノ理論」ベトナムが共産化してしまえばアジアの国々が共産化してしまうと怯えていた。アメリカの兵士は米軍統治下の沖縄からベトナムに飛んだ。沖縄の人にベトナム人を演じさせた。

「フェニックス作戦」共産主義者が潜むとされた街は焼き払われた。南ベトナムでも米国への憎しみがました。「ベトナム人の大半はアメリカを侵略者とみなしていた。CIAの作戦は暴走した。CIAの一員として祖国アメリカを誇りに思っていたが、それはベトナムに来るまでだった。」ジョンソン大統領は勝利は近いと考え、ベトナムへの兵士の戦力を拡大させた。ベトナム反戦の声が世界中で巻き起こった。ジョンソン大統領とフーバー長官は、共産主義者の陰謀とみなし、ベトナム反戦運動の主導者を拘束した。

  • 1967年04月:公民権運動。人種差別の抗議。黒人差別の抗議。マーティン・ルーサー・キング牧師が主導した。ベトナムで戦死したアメリカ兵士の多くが貧しい黒人だった。FBIは共産主義者の手先だとして自殺を進める手紙を送って脅迫した。キング牧師は、政府への対決の姿勢を明確に示した。「もはやベトナムについて沈黙することは許されません。アメリカの魂をむしばむ毒はベトナム戦争で生まれる。社会の向上ではなく軍事力に膨大な予算をつぎ込む国は、精神の死に近づいていく。スラムでの暴力を批判する前に、世界最大の暴力に対してはっきり発言しなければなりません。」
  • 1968年04月04日:キング牧師暗殺。黒人聖歌「Precious Lord. take my hand(大切な主よ、私をお導きください)」黒人に宣戦布告した。100を超える都市で黒人暴動が起きた。死者46人、逮捕者2万人にのぼった。
  • 1975年4月:サイゴン陥落。アメリカが初めて戦争に負けた。アメリカ兵戦死者5万8000人。ベトナム人犠牲者300万人。アメリカに向かう最後のフライトに協力したベトナム人が殺到。取り残された人は大量の難民となった。CIAに対する批判が高まっていた、CIAの違法な点を追求した。のおびただしい秘密と嘘が暴かれた。
  • 1979年12月:ソビエトのアフガニスタン侵攻。ソビエトのカイライ政権が、イスラム勢力によって脅かされていた。かつてベトナムでソビエトの支援するゲリラに苦しめられたアメリカ。報復のため、最新兵器をイスラムゲリラに提供した。ベトナム戦争のアメリカとソビエトの役割がそっくり入れ替わった戦争だった。(ベトナム戦争:ベトナム人(ソビエト軍の支援)VSアメリカ軍。アフガニスタン侵攻:ソビエト軍VSイスラム勢力(アメリカ軍の支援))
  • 1981年:かつて俳優だったドナルドレーガンが大統領になる。
  • 1979年 - 1989年:コントラ戦争(中南米、ニカラグア)
  • 1975年:アンゴラ内戦(アフリカ)

CIAの訓練を受けるアフガニスタン。サウジアラビアから参加した若者オサマ・ビンラディン氏の姿もあった。憎しみの種が撒かれていた。