NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第3集 時代は独裁者を求めた」

なぜ今このような世界に生きているのか。その答えを映像の中に探していく。

  • 1941 - 1945:独ソ戦争

ヒトラーの側近、相当にプライベートはないと讃えられていた。アウシュビッツ強制収容所。なぜ人々は独裁者を迎え入れたのか。

なぜ世界は独裁者を止められなかったのか。アメリカの自動車王は反ユダヤ主義としてヒトラーを支援した。チャールズ・リンドバーグ、ヒトラーを支援した。世界中の人々がヒトラーを讃えた。

  • 1939 - 1945:第2次世界大戦

5000万〜6000万と言われる犠牲者の数。ジェット戦闘機、弾道ミサイル、原子爆弾。新型の殺戮兵器が開発された。民主主義、共産主義、ファシズム。大量虐殺を引き起こした。犠牲者の7割が一般市民だった。(それまでの戦争9割が軍人)

アドルフ・ヒトラー

ランツベルク刑務所、ナチスを率いていたヒトラーはクーデーターに失敗し、刑務所にいた。ドイツは多額の賠償金を払うことができず、経済は落ち込んでいた。音楽一族、ワーグナー家、ヴィニフレートワーグナーは、ヒトラーの演説を聴き、彼の虜になり、ヒトラーを支援した。アメリカにコンサートに行ったワーグナーはヘンリー・フォードに資金援助を頼んだ。フォードは反ユダヤ主義だった。移民のユダヤ人に仕事が奪われているとの考えがあった。国際的に活躍しているユダヤ人は世界の問題である。フォードの名前で出た本は世界16カ国に翻訳した。社会問題の根本にはユダヤ人がある。ユダヤ人は拝金主義だが、ドイツ人は拝金主義ではない。ヒトラーユダヤ人と共産主義を的に掲げた。

  • 1929年:世界恐慌

敗戦から立ち直りかけたドイツでは失業率30%の影響を受けた。ヒトラーは恐慌をチャンスだと考え、選挙活動を展開。強力な軍国主義こそがドイツを救うと考えた。イタリア、ムッソリーニ、植民地獲得で世界恐慌を脱出しようとしていた。ソビエト連邦は世界恐慌と無縁で順調な経済成長を果たしていた。スターリン「新しい共産主義の達成のために頑張ろう」

  • 1928 - 1932:第一次五カ年計画(ロシア)

世界中で、反資本主義が台頭した。ドイツ共産党も台頭した。共産主義化ファシズムかという選択は、サタンか魔王かの選択のようなものである。絶望に駆られた1700万人によって、ヒトラー政権が誕生した。保守政党との連立政党だった。

  • 1933年:国会議事堂放火事件(ドイツ):共産主義者による陰謀だとして、共産主義者を逮捕した。
  • 1933年:全権委任法の審議:内閣が国会の採決なし、議会制民主主義にの死を意味した。

ナチスの議席は過半数に達していなかった。ヒトラーは暴力をちらつかせた。野党には政治取引を持ちかけ、ナチスの陣営に賛成するように働きかけた。社会民主党を除く全ての党が賛成した。全権委任法が可決された。民主主義のルールを犯すことなく、独裁政権を作り上げた。内閣の決定は、合法とされた。

強い内閣を歓迎した。

独裁者が振りまいた夢と恐怖

アウトバーン、世界で初めて作られた高層道路ネットワークである。失業者対策を目的に建設された。

  • 1933/09/23:全長7000kmのアウトバーンの建設開始式。労働者雇用の確保
  • 1933/02/11:ベルリン・モーターショー。豊かさへの夢も与えた。金持ちの象徴だった車、国民車構想を掲げた。国民車のデザイン画、ポルシェが設計を任された。国営会社が建設された。フォルクスワーゲンと名付けられた。国民車:ビートル。

週休二日制、週40時間労働を開始。大企業には社員食堂の設置を推進。様々な福利厚生施設、プール等を設けた。政権発足から、国民総生産2倍、税収3倍。公共政策で、景気回復を狙う、ドイツはいち早く恐慌から脱した。

89.9%の国民投票の支持を得た。ナチスと関わりたくないと思うものはいなくなった労働者たちは皆家を立てた。

  • 1935年9月:ナチス党大会。ニュルンベルク法発布。ユダヤ人の公民権を剥奪し、ドイツ人との結婚を禁じた。ドイツは自由を取り戻したのだ。ユダヤ人は選挙権を奪われた。それ以前も、公職から追放されユダヤ人が経営する飲食店での買い物は禁じられていた。

最初は、眉を潜めていたドイツ人も、奇跡的な経済成長を目にし、迫害に違和感を感じなくなった。クルップ社(軍事企業):数万人の社員がヒトラーを熱狂的に迎えた。第一次世界大戦で課せられた軍隊の制限を一方的に破棄、再軍備を徹底した。クルップは最新の兵器を提供し始めた。史上最大の列車砲。地下30mの要塞も撃破する。再軍備の目的は、第一次世界大戦で奪われた領土を取り戻し、東ヨーロッパに領土を拡大することだった。

  • 1936年:空の英雄(チャールズ・リンドバーグ、アメリカ人)再軍備によって成長したドイツ軍を何度も訪れた。ヒトラーはあらゆる点で狂信的だ。しかし、彼が成し遂げた成長は彼の狂信性なしに果たせなかっただろう。

アメリカ企業がドイツと協力関係を築いている。スタンダード石油、ゼネラル・モーターズ、デュポン社。ドイツ子会社を通して、ドイツでビジネスを行う。これらが、ドイツの軍国力を増大させていると考えられると指摘するアメリカ人がいた。

近づく世界大戦の足音

日本でも軍国主義が広がっていた。

  • 1936年11月:日独防共協定
  • 1937年11月:イタリアが日独防共協定に加わる。
  • 1937年12月:南京陥落戦勝祝賀大会。デパートは南京陥落を祝った。世界が日本の侵略としながら、ドイツは日本に近づいていく。

文化でのドイツとの交流。原節子のドイツとの共同映画の初主演だった。

  • 1938年03月:オーストリア併合。ドイツと同じ民族であるオーストリア人は大ドイツ帝国の一分となることを熱狂的に歓迎した。ヒトラーはさらなる領土拡大に突き進んだ。チェコスロバキアに対し、ドイツ人が住む地域の割譲を要求。
  • 1938年09月:ミュンヘン会談。イギリス、フランスがミュンヘンに集まった。領土侵略はこれ以上しないと約束した。しかし、ヒトラーは、この約束を破り、チェコ・スロバキア全土を侵略した。
  • 1939年8月23日:独ソ不可侵条約。ヒトラーと共産主義が手を結んだのだった。理念的にも社会的にも似ていることから、手を結ぶのだ。

条約の締結から9日後第二次世界大戦は始まった。

世界を覆う悪夢

チャップリン「独裁者」兵士たちよ、民主主義のために団結せよ。

  • 1939年09月:第二次世界大戦開戦。ポーランド、デンマーク、ノルウェー、オランダ、フランスを一気に占領した。ヒトラーの専属パイロット、ハンス・バウア。ヒトラーは専用機に乗ってパリに乗り入れた。エッフェル塔、ナポレオンなどを訪れた。
  • 1940年07月06日:ベルリン凱旋パレード。フランス占領。ナポレオンに匹敵する独裁者。熱狂的な国民が迎えた。2日にわたって行われた。

ヨーロッパの覇者となったドイツ。もう戦争は終わったという安堵感がドイツには行われていた。街角の居酒屋にはフランス各地のワインがあった。ドイツ占領下のパリ。大通りをドイツ軍の飛行機が我が物顔で飛んでくる。

10万人に及ぶドイツ人とフランス人の間に生まれた子供。ココ・シャネルは、諜報活動に携わった。シャネルが生み出した香水で得た金はユダヤ人の経営者に渡った。「私に対する理不尽な扱いを改善することを望んでいる」

ゲットーユダヤ人強制居住区。3kmに40万人ものユダヤ人が閉じ込められた。ユダヤ人が乗せて行く先は強制収容所だった。大量虐殺が始まった。ナチスが彼らにどんなことをしたのか、知らなかったが、時とともにしれわたった。

アメリカの思惑

第二次世界大戦が始まってもアメリカは中立を保っていた。国民8割がドイツとの戦争に反対していた。新ナチ団体。反ユダヤ主義とアメリカの中立を歌っていた。

  • 1940年08月04年:参戦に反対する5万人の集会。チャールズ・リンドバーグの演説。アメリカは、ドイツの貿易先だった。ドイツと戦争になればマイナスになる。ドイツ軍用トラックの4分の1を作っていた。ヘンリー・フォードはナチスドイツから勲章をもらっていた。IBMが開発したパンチカードシステム。大量のユダヤ人の管理輸送を可能にした。IBM、数千台のマシンが納入された。
  • 1941年 - 1945年:独ソ侵攻。不可侵条約を破り、ロシアは総崩れとなる。本来の敵としていた共産主義に牙を向いた。赤軍の粉砕と国家の解体。これは絶滅戦争。絶滅させなければ、共産主義は再び蘇るだろう。レニングラード(サンクトペテルブルグ)への侵略。街はドイツ軍によって900日に渡り封鎖された。犠牲者は100万人以上、その8割は餓死者であったと言われる。封鎖が始まったこの街で一人の音楽家がいた。ファシズムとの戦いをテーマにした曲。「レニングラード交響曲」この街で私たちはまだ生きている。逃亡兵の野営裁判。味方から殺害された。ソビエトも恐怖が支配する国家であった。ファシズムは単にナチズムを表すものではない。「交響曲」は今野ロシアを含むファシズムを描いた。

<2019-12-12> 以前、サンクトペテルブルクに訪れた際に、歴史がわからなかった。でも、第二次世界大戦が起きていたとき、ヨーロッパで何が起きていたのかをしっていたら、もっと違う視点で、サンクトペテルブルクという街を味わえていたのではないか

断末魔のファシズム

  • 1941年12月8日:真珠湾攻撃。アメリカ太平洋艦隊、戦艦4隻が沈没した。アメリカの反戦ムードは一変した。ドイツとの戦争には反対した人々も日本との戦争には進んで協力した。フォードは軍事工場を作り、8500台の爆撃機を開発した。さらに、ドイツ支持のリンドバーグを爆撃機の開発を担当した。日米の戦いが始まるとドイツはすぐにアメリカに宣戦布告した。アメリカ社会にあったナチス支持の機運は一気に消えた。女性たちも軍事工場で働くことを自ら志願した。

ディズニー社がプロパガンダ映画を作成している。「総統の顔」ナチスランドで暮らすキャラクターが精神に異常を来してしまうという映画である。日米開戦の頃、ソ連軍はドイツに対して大反撃をした。それまで戦いを有利に進めていたドイツは郡は、ソ連軍の精鋭部隊に敗退を続けていた。この頃、アウシュビッツ強制収容所では、毒ガスによる大量虐殺が本格化した。

アメリカ テネシー州:巨大な街が現れた。7万5千もの人が何を作られているか知らされずに作られた。マンハッタン計画と名付けられたこのプロジェクトには、ナチスの迫害を免れたユダヤ人も加わっていた。原子爆弾の開発。

ナチスドイツ ヒトラーも新兵器の開発。弾道ミサイルV2ロケットの開発に乗り出した。ロケットで加速し、成層圏まで一気に上昇、数100kmまで目的地に発射する革新的なものだった。ロンドンなどに向けて放たれたが、命中精度が低く、効果は限定的だった。

ガダルカナル島の戦い:圧倒的な物量を誇るアメリカ軍に追い詰められていた日本軍。ファシズム陣営(ドイツ、イタリア、日本)は瓦解し始めていた。

  • 1943年9月:イタリア降伏。ムッソリーニは処刑。ミラノの広場に吊るされた。
  • 1944年06月06日:アメリカを中心とした連合軍が、フランスノルマンディーに上陸。15万の兵士が投入された史上最大の上陸作戦。この戦いに敗れたドイツは、西からアメリカとイギリス、東からソ連からの猛攻撃を受けることになる。
  • 1944年07月20日:ヒトラー暗殺未遂事件。ナチス幹部が死傷する中、ヒトラーは難を逃れた。首謀者はドイツ軍の将校たちであった。総統への忠誠を裏切るとは一体どいうことなのだ。「忠誠はもうありません。」「闘争が世界に果たした役割は凶悪な犯罪者であると確信した。」この人物は直ちに絞死刑になった。容疑者だけでなく家族や親類など600人以上が逮捕され、処刑が行われた。
  • 1944年08月25日:パリ解放、ドイツ軍撤退。4年間に及ぶヒトラーによる支配が終わった。しかし、新たな憎しみが街を覆う。ナチス協力者に対するリンチである。ドイツ兵と親しくしていた女性たちにも及んだ。ある女性が連れてこられて髪がかられた。不幸な女性「赦してください、もうしませんから。」
  • ソビエト連邦クラスノダールでもナチス協力者が処刑された。スターリン体制に抵抗するため、ナチスに協力した人たちだった。
  • 1945年4月~5月:ソ連軍によるベルリン攻防戦。白旗を上げた市民は、ナチスに裏切り者と見なされ、白旗を挙げなければソ連兵に殺された。半月に及ぶ攻防戦で15万人以上が犠牲になった。ヒトラーは総統の地下壕にこもって指揮をとった。自分の目で戦争を見ようとしなかった。

陥落寸前、愛人エヴァと結婚式を挙げ、その二日後命を立った。秘書に残した言葉、ナチズムは崩壊した。もう終わりだ。その思想は同じく死ぬ。そして、それは100年後に同様の思想が生まれるだろう。宗教のように新たなナチズムが登場するだろう。」

  • 1945年05月07日:ドイツ降伏
  • 1945年08月06日:広島原爆投下
  • 1945年08月09日:長崎原爆投下
  • 1945年09月02日:第二次世界大戦終結
  • 1945年10月:アメリカ兵器展示会。ドイツや日本から押収した兵器を展示する展示会。新たな戦争の種子を植え付けた。

米国:兵器だけではなく、ドイツの科学者を連れ帰った。喉から手が出るほど欲しかったのがヒトラーが最後の望みとして作った。V2ロケットの技術だった。この技術から大陸間弾道ミサイルを作った。

ソ連:同様に大陸間弾道ミサイルの開発した。6000人以上のドイツ人を雇った。両国は同じことを考えた。アメリカとロシアはヒトラーの遺産を利用しながら、冷戦を繰り広げることになる。

独裁者の狂気を押し止めることができなかった。ブーヘンヴァルト強制収容所。5万人がここで犠牲になった。連合軍はこの場所をドイツ人にも見せなければならないと考えた。自分が個の目で見た証拠を伝え残すためにも。ドイツ人が見学させられる映像が残っている。一人の女性カメラマンがその時の様子をこう記している。「女性は気を失い、男性は顔を背け、知らなかったんだと言う声が人々から上がった。すると、開放された収容者たちは怒りをあらわにこう叫んだ。『いいや、あなた達は知っていた。』」