よみがえる第二次世界大戦 第1回 「ヒトラーの野望」

第一次世界大戦→ドイツつかの間の反映→世界恐慌→ヒトラー政権

第二次世界大戦幕開け以前

1933年、ナチス党が政権を採る。独裁政権。第一次世界大戦の敗北によって多額の賠償金を払いフランスなどに奪われた。その領土を取り返すこと、さらに領土を広げることが、ヒトラーの野望だった。

1938年オーストリアをドイツ軍に取り込み併合する。正当なドイツ人アーリア人こそが最も優れた人種だと。そして、その対局に位置づけられたのがユダヤ人だった。ユダヤ人は第一次世界大戦の敗北や様々な問題の原因であり、全ての悪の元凶だとされた。ナチスに反抗するものは抹殺の対象となる。

1938年領土の拡大に燃えるヒトラーに対して、チェコを犠牲にすることによって、ヨーロッパでの戦争を回避しようとイギリスはするも、あっけなく約束は破られる。

しかし、その約束はあっけなく破られる。

第二次世界大戦幕開け

1939年9月1日ポーランドに侵攻。第2次世界大戦の幕開けとなる。ワルシャワは壊滅的な破壊を受ける1939年9月3日英仏に宣戦布告。第一次世界大戦からわずか20年、ヨーロッパは再び戦争が始まることになった。英仏はそれほど長い争いになるとは思っていなかった。

西部戦線

1940年5月9日ヒトラーがフランス侵攻作戦のために国境に行く。5月10日オランダとベルギーを攻撃する。港湾都市ロッテルダムが壊滅的な被害を受ける。無差別殺戮であった。これはおとりであった。フランス軍をベルギー領の奥深くまで侵攻させろ。その一方ドイツ軍はアルデンヌの森を侵攻していった。不意をつかれたフランス軍は残った部隊で応戦する。戦車の運用面ではドイツ軍が上回り、ドイツ軍の作戦が成功する。

その後、イギリス海峡に到達し、ベルギー軍英軍仏軍は包囲され、ベルギーは降伏し、英軍は自国に逃げ、連合軍は崩壊することになる。

西部戦線のその後

1940年6月10日、フランス政府はパリの無防備都市化を決定し首都をボルドーに移し、無条件に譲った。6月14日にフランスの首都パリを占領。220万人が捕虜となる。

ドイツはフランスを敗北と見なした。(第一次世界大戦の復讐を果たしたとした)休戦協定によって、フランスを二分割し、同盟国の伊にアルプスの国境際を譲り渡し、新たな都市をヴィシーに置いた。瞬く間にヨーロッパでの領土を広げたヒトラーはナポレオンと同じだと自分を考えたとしている。ベルリンをゲルマニアと命名した。この時点で、ヒトラーはイギリスの屈服を目標とした。

ドイツとイギリス

世界最高水準の戦闘機、防空システムはレダーによるもので、ドーバー海峡をわたるドイツ軍を確認することが出来た。それによって、ドイツ軍の攻撃を難しくさせ、ヒトラーはイギリス上陸計画を延期することにした。作戦を変更し、大都市への無差別攻撃を行った。イギリスは都市を攻撃されれば、降伏するだろうと考えていた。

東部戦線 ソ連とイギリス

ヒトラーが独裁政権を強める中、もう一人の独裁者スターリンが、ソ連で足下を固めていた。共産政権を嫌っていたヒトラーが、歴史的条約独ソ不可侵条約を結ぶ。世界は衝撃を受けた。この条約の陰で、ポーランドを二国で分割するという密約がかわされていた。その一週間後、ドイツはポーランドに侵攻、それに続いて、ソ連も侵攻する。第二次世界大戦中、ポーランドは虐殺の舞台となった。その後ポーランドはソ連とドイツに対して降伏した。その中でナチスによる人種差別政策も強くなっていく。ジプシー狩り。そしてこの頃、ポーランドのユダヤ人に対する差別も始まった。黄色の星印を付けられる。

不可侵条約締結以来、ソ連はドイツに対してフランス攻略に必要な物資を送っていた。しかし、1941年6月22日の列車が最後の貨物列車となる。6月22日ドイツが宣戦布告なしに

バルバロッサ作戦というソ連侵略を開始した。300万の兵力60万台のトラック、4000台の戦車。ヒトラーにとって最も恐れていたことはアメリカの参戦だった、アメリカは一年以内二千層を始める準備ができるだろう。ドイツは資源は東のロシアにあると考えて、出来るだけ早くにソビエトを攻撃した。そうすれば、イギリスは抵抗する意欲を失い、降伏するだろう、そうすれば、アメリカとの戦争を回避することが出来ると考えた。

大量の兵力を率いれば、8週間以内に終結することが出来るだろうと考えていた。しかし、ドイツとは違った環境に兵士は悩まされ、ソビエト軍の反撃も予想以上だったことによって、思った通りに戦線を進めることが出来なかった。そして、1941年冬ようやく、モスクワから30kmの地点まで進軍できた。

バルバロッサ作戦は大詰めを迎えていた

しかし、そのとき遥か遠く太平洋での出来事がヒトラーの運命だけでなく、戦争の姿そのものを変えていくことになる。1941年12月8日未明、日本軍がハワイ真珠湾攻撃を行う。日本アメリカが世界大戦に加わり、文字通り世界大戦に発展することになる。

我々は自由に学び、人生の旨味を噛み締めることが出来る。自由に。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第6集 あなたのワンカットが世界を変える」

この星で映像が発明されて100年余、映像は人類が蓄積した記憶である。21世紀最初の年、悪夢の記憶が刻まれた。映像は世界を引き裂き、底知れない憎悪を起こした。映像はときに時空を超えて人々を繋ぐ。誰も撮影者になり誰もが発信者になる時代。映像に込められたメッセージが瞬時に世界を駆け回る。新たな映像の世紀が到来した。

私たちはなぜ今このような世界に生きているのか。その答えを映像の中に探していく。21世紀激動の時代を追う。

アメリカ同時多発テロ 世界は引き裂かれた

2015年09月11日:ニューヨーク。ツインタワーが夜空を彩った。3000人もの犠牲者を出した史上最大のテロ事件。

  • 2001年09年11日:ワールドトレードセンター。ハイジャック犯がセキュリティチェックを安々とくぐり抜けていた。AM8:24 ハイジャック犯の声が航空管制官に届いた。飛行機がハイジャックされ、ニューヨークに向かっている。AM8:46 1機目の衝突。衝撃的な映像です。世界のテレビ局 も次々と中継を開始した。AM9:03 もう1機目が突入した。AM9:59 2機目の衝突から56分後、南棟倒壊。3日後、テロとの戦いを宣言したブッシュ大統領。

テロの映像によって、人々の悲しみは憎しみに変わっていく。「報道番組は恐怖の怪物を必要以上に家庭に持ち込んでいる。恐ろしいほどの喪失感、弱みを傷つけられた感情、復習したいという欲望、映像は抑えきれない報復の思いを掻き立てただけでなく増幅したのだった。」

映像プロパガンダ戦 アメリカVSテロリスト

  • 2001年10月:アフガニスタン攻撃。アルカイダの映像。アルカイダのリーダー、オサマ・ビンラディン「信仰を守るため一致団結しなければならない。」。圧倒的な武力を持つアメリカに対して、ビンラディンが武器としたのは映像だった。世界中のイスラム教が賛同した。正しいのは誰だ。
  • 2003年03月:イラク戦争:アフガニスタンに続き、イラクに侵攻。独裁者バグダッド、フセインの像が倒される。イラク国民の喜びを伝えるニュース映像。アメリカの戦争の正当性をアピールする映像として使われた。戦争は終わらかなった。イラクはテロの泥沼とかしていった。

アメリカ兵への内部告発によって、アブグレイブ刑務所にて収容者への虐待を示す映像が明るみに出た。暴行、レイプなどが度々起きた。「虐待は効果的だった。だからもっとやろう。」

虐待を知り、イラクで巻き起こった怒りのデモはイスラム諸国に広がった。虐待が広まって2週間後、イスラム過激派組織により殺害される映像。後にイスラミックステートと名乗る。

インド洋すスマトラ島大津波 映像革命の始まり

  • 2004年12月26日:スマトラ島沖地震によって生じた津波。一般の人々が報道の主役となる最初の出来事であった。この映像を観ていた一人のアメリカ人の若者が、YouTubeの創業者となる、ジョード・カリム。市民が撮影した最初の大事件。市民の映像はどれも圧倒的だった。そこで誰でも映像を投稿できるサイトを作ろうと思った。翌年YouTubeを解説した。
  • 2005年04月23日:最初の動画が自分の動画だった。当時は動物や赤ちゃんの可愛い映像を楽しむ場に過ぎなかった。急速に進化を遂げていく。パルクール、YouTubeによって世界的に広がった。ロッテのポートレート。5000万人が観た映像。世界で最も有名な普通の家族と言われた。再生回数が200万回。以前は一部の人間が映像を作り、どこで誰がみるかもコントロールしてきた。自分のメッセージや感情、才能を共有することができる。主人公は投稿する人。

国家のコントロールも超えていった。米軍ヘリの流出映像。一般市民を銃撃する映像。ヘルメットのカメラの流出した。テロリストたちも動画を投稿した、次々と投稿された自爆テロ。

ワンカットが世界を動かす

  • 2010年09年:同性愛者の映像。二人のメッセージから着想を得て、自分のつらい経験を発信するようになる。「it gets better」毎週のように投稿するジェイミー・ロドマイヤー少年。投稿した5日後、ジェイミーは自ら命を絶った。1万件のメッセージが集まった。同性愛の苦しみを理解する人が少しずつ増えていった。ロード双子の兄弟が同性愛者であることを父親に告白する動画。二人への愛は変わらないよ。自分の人生を生きるんだ。
  • 2015年06月26日:アメリカ連邦最高裁は、同性婚禁止を違憲とする画期的な判決を下した。同性婚が全米で認められた瞬間だった。ホワイトハウスはレインボーカラーにライトアップされた。

映像がもたらした革命

  • 2011年:アラブの春

アラブの春:小さな町の果物売の若者が露天での商売を役人に咎められ抗議の焼身自殺をおこなったものだった。地方都市のこの事件は地元メディアは報じなかった。しかし、FACEBOOKで投稿する市民がいた。自由に発信するメディアがそれしかなかった。

怒りを共有した人々は各地をデモを引き起こした。ベンアリ大統領、沈静化を狙い、果物売りの入院する病院を訪問した。大々的にニュースで報じられた。デモ隊に発砲、死者が出たがテレビでは報じられなかった。政府打倒をデモ隊は目指した。権力を前に行動する市民に軍隊も支援した。大統領は国外に亡命した。大統領は職務を遂行できなくなりました。若者が焼身自殺を図って1ヶ月あまりでチェニジアの独裁政権は崩壊した。(アラブの春 ①)

  • 2011年:エジプト革命にも伝播した。(アラブの春 ②)
  • 2011年02月11日:エジプトのムバラク大統領辞任を発表。30年にも及ぶムバラク政権が三週間で崩壊した。

しかし、独裁政権によって抑え込まれていた急進的な勢力を解き放つことになった。エジプトでは政治の混乱と治安の悪化の中、軍を後ろ盾となる政権が生まれようとした。

リビアやシリアではアラブの春は内戦に変わっていった。(アラブの春 ②)国民の半数が難民となった。底なしに災厄だ。日増しにひどくなる。戦争は終わらず何もない。僕も心の中から壊れてしまうようだ。絶望を飲み込み膨れ上がったのが、過激派組織IS(イスラミックステート)

  • 2013年04月15日:ボストン・マラソンで2つの爆弾が相次いで爆発。死者3人負傷者300人のテロ事件が起こった。FBI、進化したカメラによって容疑者が浮かぶ上がった。帽子をかぶって、リュックを背負った男。爆発後男はリュックを持っていない。サーマルカメラで容疑者を見つけた。テロ事件は5日で解決した。2億5000万台の監視カメラが稼働している。一挙手一投足を見つめている。テロ組織を映像技術を進化させている。スタジオで撮影されている。ISのプロパガンダ映像。報道機関で働いたことのある欧米人が働いている。ISが次の世代まで続くものであると印象づけたもの。

新たな映像の世紀 世界はどこへ向かうのか

  • 2015年03月20日:ファレル・ウィリアムス(歌手)HAPPYは新しいムーブメントを起こした。「手を叩いてやりたいことをやろう」
  • 悲しみと憎悪が広がる場所でもHAPPYを歌った。映像は世界をつないだ。みんなの想像力と勇気だ。これまでになったほど世界はつながっている。

  • 2015年:シリア難民の家族がヨーロッパに渡ろうとして死亡した子供。難民の受入をしようとした。

  • 2015年11月13日:パリ同時多発テロ。今も多くの命が失われ続けている。テロの恐怖と新たな憎しみがばらまかれた。「イスラム主義は出ていけ。」同時多発テロの三日後の映像だった。 イスラム教徒の男性が目隠しをして立っていた。「私はあなたたちを信じています。私のことも信じてくれるなら抱きしめて。」憎しみの連鎖を断ち切ろうとするこの試みも世界に発信された。この試みに加わるイスラム教徒が次々と現れた。

映像はときに世界を引き裂き、ときに世界を繋ぐ。人類が蓄積してきた膨大な記憶である。

現在
今の世界はこのような過去の上にあるという理解が大切なのである。
2020年はこのような各国の紛争の歴史延長線上にあるということ。今の世界をみているだけだとどうしてもその視点を失いかける。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第5集 若者の反乱が世界に連鎖した」

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016068244SA000/index.html

ベルリン。東ドイツ政府は西側への市民の流出を防ぐため、壁を築いていた。有刺鉄線は補強され、壁となった。怒り絶望するしかなかった。若者たちの反乱が同時に起こった。世界中で若者たちの怒りが爆発した。ドイツ、日本、アメリカ、イギリス。東側でも自由と民主化を求める声が湧き上がった。

若者たちは武器を持つことなく戦車に立ち向かった。瞬時に世界中に情報が伝わるようになった。若者たちは第二次世界大戦後、各国で大量に出現したベビーブーム世代だった。東側で巨大な壁を突き崩す巨大なエネルギーになった。

若者の反乱

  • 1967年6月:Our world:世界中の生中継画像。生まれたばかりの赤ちゃんの画像が世界中に届けられた。宇宙中継、世界の国々をつなげるプロジェクト、同時に24カ国をつながった。札幌から始まったNHKアナウンサーからの中継、ニュージャージーからの中継、イタリアからの中継、ロミオとジュリエットの撮影風景。世界が確かにつながっていることを実感した。イギリスから参加したのは、ビートルズ「All you need is love(愛こそはすべて)」新曲のレコーディングの生中継。世界の誰が聞いてもわかりやすい曲というBBCからの要望に答えて作った曲だった。
<2019-12-13>
自分はもっと自由な働き方ができるのではないだろうか。21世紀に適合した働き方ができているのだろうか。
自分の時間を売っているだけの働き方。そして、今の時代、自分の努力次第で世界とつながることができるのだ。
英語がでできれば、日本だけでない場所で生きていくことができる。汎用的な能力を身につければ、空間を超えた働き方ができる。

<2020-03-14>
自分はしたいことができるのである。為したいことをすべきなのではないだろうか。

ベトナム戦争の映像

アメリカのナパーム弾などで罪のない人々が逃げまとう映像が流れていた。世界は初めてリアルタイムで戦争を目撃した。アメリカ政府は戦争の正しさを訴えていたが、映像で伝えられたことによって、アメリカ各地でベトナム戦争反対の声が巻き起こった。声を上げたのはベビーブーム世代で生まれた子どもたち。ベビーブーム世代は大学生になっていた。

  • 1967年:ワシントンでのデモ。共産主義と戦うことが正義だとされていたが、若者たちはその価値観に縛られなかった。学生たちの声を封じ込め四つ尾する大学(コロンビア大学)に対して、学長室に乗り込み抗議が続いた。徴兵令状を燃やす若者たち。「世代間のズレがこれほど広がった時代はこれまでなかった。」アメリカの反戦運動は世界に飛び火する。
  • 1968年2月:ドイツ西ベルリンでのベトナム反戦デモ。1万2000人の若者が反戦参加。子どもたちは、国家をナチスに委ねた親世代の強い不信感。一方、親世代はナチスのように映った。反戦運動:アメリカ人に告ぐ。アメリカのテロ行為を止めてやる。教官と思われる人物が乱入した。エルネスト・チェ・ゲバラ(1928 - 1967)独裁政権を打倒したキューバ革命を主導した人を尊敬していた運動家の代表ドゥチュケ。悲劇の終止符を打ちたい。

若き革命家の肖像 キューバ革命

  • 1957年:キューバ革命の中心人物ゲバラ(エルネスト・チェ・ゲバラ)反乱軍。キューバ政府軍と戦おうとしていた。アメリカの支援を受けた大統領が憲法を停止し独裁政権を強いていた。政権には向かえば激しく弾圧された。革命を夢見る若者たちを世界中のテレビカメラが取材をした。2人には勝算があった。反乱を続けることによって国民は支持してくれる。反乱軍は政府軍への奇襲をした。農民が次々と反乱軍に加わり、その数は400人になっていった。
  • 1958年12月:農民兵の部隊は政府軍との決戦を迎えた。サンタクララを目指す。迎え撃つ政府軍は3000人。戦いは反乱軍の圧倒的な勝利に終わった。キューバ革命という冒険談が世界中に伝わった。
  • 1961年:キューバ革命終焉。世界中からボランティアが参加した。富と資源の分配、貧困や人種差別の根絶。
  • 1967年10月:ボリビア。ゲバラ死亡。南米ボリビアで新たな革命。アメリカCIAとボリビア政府軍によって銃殺された。若者の反乱を加速させた。
  • 1968年05月:パリ五月革命:ベトナム戦争を抗議する人、賃上げを要求する労働者が集まった。工場も交通も止まった。大統領の退陣要求までに発展する。5月革命は大事件だった。行動をともにする喜びがあった。5月革命時ソルボンヌ大学:ゲバラの隣に掲げられた人物がいた。中華人民共和国を作った毛沢東。6億の民を束ねた英雄だと信じられていた。しかし、それは幻想だった。
<2019-12-13>
この世界の旨みを逃しているのではないか。人生は有限である。

毛沢東の文化大革命

  • 1966年:文化大革命。(パリ五月革命の2年前)100万の群衆で埋めつけられた。資本主義よりの経済政策をとっていたが、毛沢東は革命の堕落と非難した。真の狙いは、大衆を動かし、実権派を追い落とし、権力の座につくことだった。紅衛兵:一千万を超える若者。毛沢東語録を掲げて行進した。「造反有理」反乱にこそ新しい道理がある。「文革は救済だった。ブルジョアジーの支配を許さないのだから。清華大学。古い歴史にとらわれていると、文化財さえ破壊の対象になった。毛沢東像と共に更新した。忠誠心を表すかのように巨大な像をつくった。国家主席劉少奇が反革命的であると罵倒される。毛沢東は権力を脱会した。革命は、毛沢東の思惑を超えて拡大していく。群集心理が暴走した。加害者にならなければ被害者になる。迫害自殺などで奪われた命は数百万と言われる。しかし、世界はその事実を知ることはなかった。

NOの嵐に世界が揺れた年

  • 1968年04月:ワシントン、キング牧師の暗殺による黒人の暴動

破壊や暴力を伴い次第にエスカレートしていく。

  • 1968年10月:新宿騒乱。日本、新宿:ベトナム戦争に反対し、若者が暴徒化した。
  • 1960年代:ロンドンでも暴徒が生じた。エリート学生が騎馬警官と激しくぶつかった。スティーブン・ホーキング(宇宙科学者)

ボブ・ディラン、ワシントンの集会に現れた若者反乱は新しい文化を生んだ。「風に吹かれて」髪を伸ばしたヒッピーが現れ、ラブアンドピースを掲げ、ひと目を恥じず、抱き合うカップル、カウンターカルチャーとなり、世界的な流れとなった。

<2020-03-14>
過去から見て現在どういう時代を生きているのかを知る必要がある

プラハの春と弾圧の夏

チェコ・スロバキア、社会主義国の中で最も報道の自由があったプラハ。政治家と民衆の対話集会。目指したのは社会主義と自由を両立させることだった。ソビエトに支配されていると思っているかもしれないが、間違い。そういう時代はもう終わった。報道と言論の自由を

  • 1969年08月:ワルシャワ条約機構軍の弾圧。急激な民主化を恐れたソビエトの弾圧だった。若者たちが非武装で戦車に立ち向かう。国営のテレビ局は非常事態を訴え続けた。ヴァーツラフ・ハヴェル(劇作家)が市民に向けメッセージを発した。「機関銃も戦車も人間の意志や理念には勝てません。今耐えるときです。共に耐えましょう。」
  • 1968年10年:メキシコオリンピック。4つの金メダルを獲得した。床体操ではソビエト選手と同点優勝だった。ソビエト国家から目をそむけ俯いた。映像を通じて世界は理解した。
  • 1969年07月:アプロ11号月面着陸。世界に衛星中継で届けられた。アームストロング船長「1人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとって偉大な進歩だ。」マイケル・コリンズ(乗組員)「世界の指導者がはるか上空から自分たちの星を見たら彼らの態度も根本から変わるはずだ。何よりも重視している国境は見えない。資本主義者もない共産主義者もない、青と白の姿に。金持ちも貧乏人もない、青と白の姿に。」
  • 1975年:サイゴン陥落。アメリカは初めて戦争に負けた。アメリカの戦争支持率は30%に激減。テレビに負けた戦争とも言われた。若者たちは声はベトナム戦争が終焉し、 下火になっていった。

そして壁が崩れた

世界が再び揺れ動いたのは80年代末だった。

  • 1987年06月:デビッド・ボウイ(1947 - 2016)、カウンターカルチャーが生んだスーパースターが壁の際でライブをした。東ベルリン川の映像も記録されている。ボウイの声は壁の向こう側にも届いていた。ベルリンの壁の下で出会うカップルを描く代表曲「ヒーローズ」。しかし、東ドイツでは事前の許可無くイベントを開くことが禁じられていた。秘密警察シュタージと思われる人もいた映像に残っていた。恐怖が支配していた東ドイツ。「ここから出せ!とにかく俺を出してくれ。とにかく出してくれ。」東ドイツの人たちが表立って権力に逆らうのは前代未聞だった。「禁断の果実を味わっているようだった。僕たちの状況を変えるために行われているのだと気付いていた。」若者たちは5000人にまで膨れ上がった。

この2年後、自由を求めるエネルギーが爆発することになる。

  • 1989年04月:中国。天安門広場での民主化運動。絶対的な権力は絶対腐敗する。民主の女神が毛沢東と対峙するように置かれた。しかし武力で対抗、人民解放軍が無差別発砲し、民主化運動は抑え込まれた。装甲車で人民を投げ飛ばした。革命家の若者「私たちがたとえ死んでも悲嘆に苦しまないでください。私たちは決して無駄に死ぬつもりはありません。なぜなら民主主義は一台では達成できないということを認識しているからです。わが祖国への中世をこのような絶望的な方法でしか表せないことをどうかお許しください」
  • 1989年08月:西側へ脱出する東ドイツ市民。
  • 1989年11月:28年間に渡り東西を分断していたベルリンの壁が崩された。ルーマニア、チェコスロバキア、ドミノだ押しのように社会主義政権が崩れていった。社会主義政権が倒された。流血なしに成し遂げられたため、ビロード革命と呼ばれた。劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルがチェコスロバキアの大統領になる。「美しい革命」大統領に就任した年、コロンビア大学で公演を行った。我が国で一番高い職務につくことを受け入れた理由。「反乱だけではなく新しいことを作り上げなければならない。そのために大東力の職務を受けた。」

世界は変えられると信じた若者たちの遺伝子は確かに受け継がれていた。時と場所を超えてテレビがそのエネルギーを運んだ。今度はインターネットがその役割を担っていく。新しい映像の世紀が到来する。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた」

米ソの謀略戦

  • 1920年:共産主義者の赤狩り。

資本主義(西側)のアメリカ、社会主義(東側)のソビエト。米ソは直接戦争することは避け、世界中で代理戦争が行われた。冷戦の時代の米ソの謀略戦を明らかにする。

  • 1945年:戦後、ロシアとアメリカによりナチの科学者の争奪戦が行われた。ミサイルや化学兵器を急速に進化させた。1600人を超えるナチの残党、戦犯の容疑を免れ、米国に渡った。後にアポロ計画を担った。
  • スパイ工作の専門家、アメリカのソビエトの機密情報を提供する代わりに戦犯を逃れた。CIA。

KGB:秘密警察、国内で人民を弾圧し、国外でスパイを実行した。ヨシフ・スターリンは秘密警察に命じてソビエト国内に存在するスパイと思われる人物を処刑した。政府機関を始めとして、1000人余りのスパイをアメリカに送り込んでいた。アメリカ財務省次官補、ルーズベルト大統領の側近首席秘書官もソビエトのスパイだった。ソビエトの最大の狙いは、アメリカから核兵器の情報を盗み出すことだった。原爆の秘密基地にもスパイを送り込み、最高機密を次々と盗み出した。

  • 1949年:ソビエトの原爆実験
  • 1955年:ソビエトの水爆実験。原爆は4年後に、水爆は5年後にアメリカに追いついた。

ニューヨークでは避難訓練が行われた。どこかに共産主義のスパイが潜んでいる。赤狩りがエスカレートしていった。議会で疑われた人の尋問が行われる。ハリウッドは赤狩りの格好の標的とされた。大スターが議会を訪れ、さらし者にされた。ロナルド・レーガン、売れない俳優だったが、赤狩りに協力的で注目を集めた。1985年、レーガンはFBIのスパイだった。ハリウッド俳優組合、政府を批判するものを密かに監視し、FBIに密告した。FBIは国内、CIAは海外を担当する。

マリリン・モンロー。ロバート・ケネディと仲良かった。大統領の弟のロバート・ケネディ。FBIのフーバーの記録に残っていた。

  • 1953年:スターリン死亡。

アメリカの秘密工作

石油利権を独占していたのはイギリスだった。当時のモサデク大統領はイギリスの利権に抗議した。アメリカは共産化しソビエトに石油が奪われることを懸念した。

CIAを仕掛けたクーデーター。モサデク大統領は国家反逆罪で逮捕され、クーデターは成功し、新米政権を作り、アメリカの石油会社が利権を握った。

  • 1951年:アーバーダーン製油所
  • 1979年:イラン革命:←アメリカへの怒りが爆発することになる。

反米政権を次々と転覆させていく。

壁の向こう側

街自体が分断されたベルリン。東西冷戦の最前線。西東で接する窓も封じられた。命がけの逃亡を試みる人。旧東ドイツ。密告を奨励し、国民の7人の1人が協力した。盗撮は毎日続けられ、膨大な映像が撮影された。西ドイツの親戚に連絡を撮っただけで監視された。24時間広場は監視された。市民から自由を奪っていた。シュタージの収容所:密告した人も密告された人も心を病んだ。

核兵器

  • 1961年01月20日:ジョンエフケネディ大統領政権が誕生。
  • 1962年:キューバへの核兵器輸送の疑い、ソビエトに潜伏するスパイから連絡が入った。核弾頭を搭載できるミサイルが持ち込まれていることが確認された。
  • 1959年:キューバ革命。カストロが新米政権を倒し、アメリカの武力侵攻を恐れたカストロはソビエトとの軍事協力を仰いだ。

アメリカの主要都市すべてを射程することができる距離に核の脅威ができたことに。ケネディ大統領は、キューバ近くの海上封鎖することをした。核シェルターが売れ、スーパーからは食料品が消えた。

ソビエトは、ペンコフスキーがスパイ直後であることを把握して、ペンコフスキーを泳がせ、逆にアメリカの動向を汲み取ろうとしていた。監視に気がついたペンコフスキーは密かに亡命の準備を始めた。

  • 1962年10月27日:ソビエト軍がアメリカの偵察機を撃墜した。ソビエトへの先制核攻撃をケネディに相談した。

カーティスルメイ、第2次世界大戦中。ソビエト全土に広島型46万個分、数億人。北半球全土が放射能に汚染される計画を立てていた。核ミサイルの発射基地はアジア、沖縄にあった。米軍統治下の沖縄。ミサイル基地に1300発の核弾頭が密かに持ち込まれていた。ケネディ大統領、ルメイ空軍参謀総長の進言を退けた。ペンコフスキーの話を分析した結果、報復は避けられないという結論だった。米その間で妥協点を探る戦いが続けられた。

  • 1962年10月27日:ソビエトが譲歩した。ソビエトがミサイル撤去を提案した。大統領が冷静に対処できたのは、ペンコフスキー文章のおかげだった。世界の運命を左右する決断に、機密情報がこのときほど威力を持ったことはない。世界は破滅をのがれた。
  • 1963年05月16日:ペンコフスキーはKGBに拘束され、処刑された。
  • 1963年11月22日:ケネディ大統領暗殺。容疑者オズワルトを輸送中に暗殺され、事件の真相は謎になった。リンドン・ジョンソン大統領

ベトナム戦争

1950年、南北ベトナムの内戦に介入していた。ベトナム共和国(南、民主主義)、ベトナム民主共和国(北、社会主義)。南はアメリカの支援、北はソビエトの具維持援助を受けていた。

第二次世界大戦を遥かに超える爆弾を投下、50万の兵士をベトナムに送った。「ドミノ理論」ベトナムが共産化してしまえばアジアの国々が共産化してしまうと怯えていた。アメリカの兵士は米軍統治下の沖縄からベトナムに飛んだ。沖縄の人にベトナム人を演じさせた。

「フェニックス作戦」共産主義者が潜むとされた街は焼き払われた。南ベトナムでも米国への憎しみがました。「ベトナム人の大半はアメリカを侵略者とみなしていた。CIAの作戦は暴走した。CIAの一員として祖国アメリカを誇りに思っていたが、それはベトナムに来るまでだった。」ジョンソン大統領は勝利は近いと考え、ベトナムへの兵士の戦力を拡大させた。ベトナム反戦の声が世界中で巻き起こった。ジョンソン大統領とフーバー長官は、共産主義者の陰謀とみなし、ベトナム反戦運動の主導者を拘束した。

  • 1967年04月:公民権運動。人種差別の抗議。黒人差別の抗議。マーティン・ルーサー・キング牧師が主導した。ベトナムで戦死したアメリカ兵士の多くが貧しい黒人だった。FBIは共産主義者の手先だとして自殺を進める手紙を送って脅迫した。キング牧師は、政府への対決の姿勢を明確に示した。「もはやベトナムについて沈黙することは許されません。アメリカの魂をむしばむ毒はベトナム戦争で生まれる。社会の向上ではなく軍事力に膨大な予算をつぎ込む国は、精神の死に近づいていく。スラムでの暴力を批判する前に、世界最大の暴力に対してはっきり発言しなければなりません。」
  • 1968年04月04日:キング牧師暗殺。黒人聖歌「Precious Lord. take my hand(大切な主よ、私をお導きください)」黒人に宣戦布告した。100を超える都市で黒人暴動が起きた。死者46人、逮捕者2万人にのぼった。
  • 1975年4月:サイゴン陥落。アメリカが初めて戦争に負けた。アメリカ兵戦死者5万8000人。ベトナム人犠牲者300万人。アメリカに向かう最後のフライトに協力したベトナム人が殺到。取り残された人は大量の難民となった。CIAに対する批判が高まっていた、CIAの違法な点を追求した。のおびただしい秘密と嘘が暴かれた。
  • 1979年12月:ソビエトのアフガニスタン侵攻。ソビエトのカイライ政権が、イスラム勢力によって脅かされていた。かつてベトナムでソビエトの支援するゲリラに苦しめられたアメリカ。報復のため、最新兵器をイスラムゲリラに提供した。ベトナム戦争のアメリカとソビエトの役割がそっくり入れ替わった戦争だった。(ベトナム戦争:ベトナム人(ソビエト軍の支援)VSアメリカ軍。アフガニスタン侵攻:ソビエト軍VSイスラム勢力(アメリカ軍の支援))
  • 1981年:かつて俳優だったドナルドレーガンが大統領になる。
  • 1979年 - 1989年:コントラ戦争(中南米、ニカラグア)
  • 1975年:アンゴラ内戦(アフリカ)

CIAの訓練を受けるアフガニスタン。サウジアラビアから参加した若者オサマ・ビンラディン氏の姿もあった。憎しみの種が撒かれていた。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第3集 時代は独裁者を求めた」

なぜ今このような世界に生きているのか。その答えを映像の中に探していく。

  • 1941 - 1945:独ソ戦争

ヒトラーの側近、相当にプライベートはないと讃えられていた。アウシュビッツ強制収容所。なぜ人々は独裁者を迎え入れたのか。

なぜ世界は独裁者を止められなかったのか。アメリカの自動車王は反ユダヤ主義としてヒトラーを支援した。チャールズ・リンドバーグ、ヒトラーを支援した。世界中の人々がヒトラーを讃えた。

  • 1939 - 1945:第2次世界大戦

5000万〜6000万と言われる犠牲者の数。ジェット戦闘機、弾道ミサイル、原子爆弾。新型の殺戮兵器が開発された。民主主義、共産主義、ファシズム。大量虐殺を引き起こした。犠牲者の7割が一般市民だった。(それまでの戦争9割が軍人)

アドルフ・ヒトラー

ランツベルク刑務所、ナチスを率いていたヒトラーはクーデーターに失敗し、刑務所にいた。ドイツは多額の賠償金を払うことができず、経済は落ち込んでいた。音楽一族、ワーグナー家、ヴィニフレートワーグナーは、ヒトラーの演説を聴き、彼の虜になり、ヒトラーを支援した。アメリカにコンサートに行ったワーグナーはヘンリー・フォードに資金援助を頼んだ。フォードは反ユダヤ主義だった。移民のユダヤ人に仕事が奪われているとの考えがあった。国際的に活躍しているユダヤ人は世界の問題である。フォードの名前で出た本は世界16カ国に翻訳した。社会問題の根本にはユダヤ人がある。ユダヤ人は拝金主義だが、ドイツ人は拝金主義ではない。ヒトラーユダヤ人と共産主義を的に掲げた。

  • 1929年:世界恐慌

敗戦から立ち直りかけたドイツでは失業率30%の影響を受けた。ヒトラーは恐慌をチャンスだと考え、選挙活動を展開。強力な軍国主義こそがドイツを救うと考えた。イタリア、ムッソリーニ、植民地獲得で世界恐慌を脱出しようとしていた。ソビエト連邦は世界恐慌と無縁で順調な経済成長を果たしていた。スターリン「新しい共産主義の達成のために頑張ろう」

  • 1928 - 1932:第一次五カ年計画(ロシア)

世界中で、反資本主義が台頭した。ドイツ共産党も台頭した。共産主義化ファシズムかという選択は、サタンか魔王かの選択のようなものである。絶望に駆られた1700万人によって、ヒトラー政権が誕生した。保守政党との連立政党だった。

  • 1933年:国会議事堂放火事件(ドイツ):共産主義者による陰謀だとして、共産主義者を逮捕した。
  • 1933年:全権委任法の審議:内閣が国会の採決なし、議会制民主主義にの死を意味した。

ナチスの議席は過半数に達していなかった。ヒトラーは暴力をちらつかせた。野党には政治取引を持ちかけ、ナチスの陣営に賛成するように働きかけた。社会民主党を除く全ての党が賛成した。全権委任法が可決された。民主主義のルールを犯すことなく、独裁政権を作り上げた。内閣の決定は、合法とされた。

強い内閣を歓迎した。

独裁者が振りまいた夢と恐怖

アウトバーン、世界で初めて作られた高層道路ネットワークである。失業者対策を目的に建設された。

  • 1933/09/23:全長7000kmのアウトバーンの建設開始式。労働者雇用の確保
  • 1933/02/11:ベルリン・モーターショー。豊かさへの夢も与えた。金持ちの象徴だった車、国民車構想を掲げた。国民車のデザイン画、ポルシェが設計を任された。国営会社が建設された。フォルクスワーゲンと名付けられた。国民車:ビートル。

週休二日制、週40時間労働を開始。大企業には社員食堂の設置を推進。様々な福利厚生施設、プール等を設けた。政権発足から、国民総生産2倍、税収3倍。公共政策で、景気回復を狙う、ドイツはいち早く恐慌から脱した。

89.9%の国民投票の支持を得た。ナチスと関わりたくないと思うものはいなくなった労働者たちは皆家を立てた。

  • 1935年9月:ナチス党大会。ニュルンベルク法発布。ユダヤ人の公民権を剥奪し、ドイツ人との結婚を禁じた。ドイツは自由を取り戻したのだ。ユダヤ人は選挙権を奪われた。それ以前も、公職から追放されユダヤ人が経営する飲食店での買い物は禁じられていた。

最初は、眉を潜めていたドイツ人も、奇跡的な経済成長を目にし、迫害に違和感を感じなくなった。クルップ社(軍事企業):数万人の社員がヒトラーを熱狂的に迎えた。第一次世界大戦で課せられた軍隊の制限を一方的に破棄、再軍備を徹底した。クルップは最新の兵器を提供し始めた。史上最大の列車砲。地下30mの要塞も撃破する。再軍備の目的は、第一次世界大戦で奪われた領土を取り戻し、東ヨーロッパに領土を拡大することだった。

  • 1936年:空の英雄(チャールズ・リンドバーグ、アメリカ人)再軍備によって成長したドイツ軍を何度も訪れた。ヒトラーはあらゆる点で狂信的だ。しかし、彼が成し遂げた成長は彼の狂信性なしに果たせなかっただろう。

アメリカ企業がドイツと協力関係を築いている。スタンダード石油、ゼネラル・モーターズ、デュポン社。ドイツ子会社を通して、ドイツでビジネスを行う。これらが、ドイツの軍国力を増大させていると考えられると指摘するアメリカ人がいた。

近づく世界大戦の足音

日本でも軍国主義が広がっていた。

  • 1936年11月:日独防共協定
  • 1937年11月:イタリアが日独防共協定に加わる。
  • 1937年12月:南京陥落戦勝祝賀大会。デパートは南京陥落を祝った。世界が日本の侵略としながら、ドイツは日本に近づいていく。

文化でのドイツとの交流。原節子のドイツとの共同映画の初主演だった。

  • 1938年03月:オーストリア併合。ドイツと同じ民族であるオーストリア人は大ドイツ帝国の一分となることを熱狂的に歓迎した。ヒトラーはさらなる領土拡大に突き進んだ。チェコスロバキアに対し、ドイツ人が住む地域の割譲を要求。
  • 1938年09月:ミュンヘン会談。イギリス、フランスがミュンヘンに集まった。領土侵略はこれ以上しないと約束した。しかし、ヒトラーは、この約束を破り、チェコ・スロバキア全土を侵略した。
  • 1939年8月23日:独ソ不可侵条約。ヒトラーと共産主義が手を結んだのだった。理念的にも社会的にも似ていることから、手を結ぶのだ。

条約の締結から9日後第二次世界大戦は始まった。

世界を覆う悪夢

チャップリン「独裁者」兵士たちよ、民主主義のために団結せよ。

  • 1939年09月:第二次世界大戦開戦。ポーランド、デンマーク、ノルウェー、オランダ、フランスを一気に占領した。ヒトラーの専属パイロット、ハンス・バウア。ヒトラーは専用機に乗ってパリに乗り入れた。エッフェル塔、ナポレオンなどを訪れた。
  • 1940年07月06日:ベルリン凱旋パレード。フランス占領。ナポレオンに匹敵する独裁者。熱狂的な国民が迎えた。2日にわたって行われた。

ヨーロッパの覇者となったドイツ。もう戦争は終わったという安堵感がドイツには行われていた。街角の居酒屋にはフランス各地のワインがあった。ドイツ占領下のパリ。大通りをドイツ軍の飛行機が我が物顔で飛んでくる。

10万人に及ぶドイツ人とフランス人の間に生まれた子供。ココ・シャネルは、諜報活動に携わった。シャネルが生み出した香水で得た金はユダヤ人の経営者に渡った。「私に対する理不尽な扱いを改善することを望んでいる」

ゲットーユダヤ人強制居住区。3kmに40万人ものユダヤ人が閉じ込められた。ユダヤ人が乗せて行く先は強制収容所だった。大量虐殺が始まった。ナチスが彼らにどんなことをしたのか、知らなかったが、時とともにしれわたった。

アメリカの思惑

第二次世界大戦が始まってもアメリカは中立を保っていた。国民8割がドイツとの戦争に反対していた。新ナチ団体。反ユダヤ主義とアメリカの中立を歌っていた。

  • 1940年08月04年:参戦に反対する5万人の集会。チャールズ・リンドバーグの演説。アメリカは、ドイツの貿易先だった。ドイツと戦争になればマイナスになる。ドイツ軍用トラックの4分の1を作っていた。ヘンリー・フォードはナチスドイツから勲章をもらっていた。IBMが開発したパンチカードシステム。大量のユダヤ人の管理輸送を可能にした。IBM、数千台のマシンが納入された。
  • 1941年 - 1945年:独ソ侵攻。不可侵条約を破り、ロシアは総崩れとなる。本来の敵としていた共産主義に牙を向いた。赤軍の粉砕と国家の解体。これは絶滅戦争。絶滅させなければ、共産主義は再び蘇るだろう。レニングラード(サンクトペテルブルグ)への侵略。街はドイツ軍によって900日に渡り封鎖された。犠牲者は100万人以上、その8割は餓死者であったと言われる。封鎖が始まったこの街で一人の音楽家がいた。ファシズムとの戦いをテーマにした曲。「レニングラード交響曲」この街で私たちはまだ生きている。逃亡兵の野営裁判。味方から殺害された。ソビエトも恐怖が支配する国家であった。ファシズムは単にナチズムを表すものではない。「交響曲」は今野ロシアを含むファシズムを描いた。

<2019-12-12> 以前、サンクトペテルブルクに訪れた際に、歴史がわからなかった。でも、第二次世界大戦が起きていたとき、ヨーロッパで何が起きていたのかをしっていたら、もっと違う視点で、サンクトペテルブルクという街を味わえていたのではないか

断末魔のファシズム

  • 1941年12月8日:真珠湾攻撃。アメリカ太平洋艦隊、戦艦4隻が沈没した。アメリカの反戦ムードは一変した。ドイツとの戦争には反対した人々も日本との戦争には進んで協力した。フォードは軍事工場を作り、8500台の爆撃機を開発した。さらに、ドイツ支持のリンドバーグを爆撃機の開発を担当した。日米の戦いが始まるとドイツはすぐにアメリカに宣戦布告した。アメリカ社会にあったナチス支持の機運は一気に消えた。女性たちも軍事工場で働くことを自ら志願した。

ディズニー社がプロパガンダ映画を作成している。「総統の顔」ナチスランドで暮らすキャラクターが精神に異常を来してしまうという映画である。日米開戦の頃、ソ連軍はドイツに対して大反撃をした。それまで戦いを有利に進めていたドイツは郡は、ソ連軍の精鋭部隊に敗退を続けていた。この頃、アウシュビッツ強制収容所では、毒ガスによる大量虐殺が本格化した。

アメリカ テネシー州:巨大な街が現れた。7万5千もの人が何を作られているか知らされずに作られた。マンハッタン計画と名付けられたこのプロジェクトには、ナチスの迫害を免れたユダヤ人も加わっていた。原子爆弾の開発。

ナチスドイツ ヒトラーも新兵器の開発。弾道ミサイルV2ロケットの開発に乗り出した。ロケットで加速し、成層圏まで一気に上昇、数100kmまで目的地に発射する革新的なものだった。ロンドンなどに向けて放たれたが、命中精度が低く、効果は限定的だった。

ガダルカナル島の戦い:圧倒的な物量を誇るアメリカ軍に追い詰められていた日本軍。ファシズム陣営(ドイツ、イタリア、日本)は瓦解し始めていた。

  • 1943年9月:イタリア降伏。ムッソリーニは処刑。ミラノの広場に吊るされた。
  • 1944年06月06日:アメリカを中心とした連合軍が、フランスノルマンディーに上陸。15万の兵士が投入された史上最大の上陸作戦。この戦いに敗れたドイツは、西からアメリカとイギリス、東からソ連からの猛攻撃を受けることになる。
  • 1944年07月20日:ヒトラー暗殺未遂事件。ナチス幹部が死傷する中、ヒトラーは難を逃れた。首謀者はドイツ軍の将校たちであった。総統への忠誠を裏切るとは一体どいうことなのだ。「忠誠はもうありません。」「闘争が世界に果たした役割は凶悪な犯罪者であると確信した。」この人物は直ちに絞死刑になった。容疑者だけでなく家族や親類など600人以上が逮捕され、処刑が行われた。
  • 1944年08月25日:パリ解放、ドイツ軍撤退。4年間に及ぶヒトラーによる支配が終わった。しかし、新たな憎しみが街を覆う。ナチス協力者に対するリンチである。ドイツ兵と親しくしていた女性たちにも及んだ。ある女性が連れてこられて髪がかられた。不幸な女性「赦してください、もうしませんから。」
  • ソビエト連邦クラスノダールでもナチス協力者が処刑された。スターリン体制に抵抗するため、ナチスに協力した人たちだった。
  • 1945年4月~5月:ソ連軍によるベルリン攻防戦。白旗を上げた市民は、ナチスに裏切り者と見なされ、白旗を挙げなければソ連兵に殺された。半月に及ぶ攻防戦で15万人以上が犠牲になった。ヒトラーは総統の地下壕にこもって指揮をとった。自分の目で戦争を見ようとしなかった。

陥落寸前、愛人エヴァと結婚式を挙げ、その二日後命を立った。秘書に残した言葉、ナチズムは崩壊した。もう終わりだ。その思想は同じく死ぬ。そして、それは100年後に同様の思想が生まれるだろう。宗教のように新たなナチズムが登場するだろう。」

  • 1945年05月07日:ドイツ降伏
  • 1945年08月06日:広島原爆投下
  • 1945年08月09日:長崎原爆投下
  • 1945年09月02日:第二次世界大戦終結
  • 1945年10月:アメリカ兵器展示会。ドイツや日本から押収した兵器を展示する展示会。新たな戦争の種子を植え付けた。

米国:兵器だけではなく、ドイツの科学者を連れ帰った。喉から手が出るほど欲しかったのがヒトラーが最後の望みとして作った。V2ロケットの技術だった。この技術から大陸間弾道ミサイルを作った。

ソ連:同様に大陸間弾道ミサイルの開発した。6000人以上のドイツ人を雇った。両国は同じことを考えた。アメリカとロシアはヒトラーの遺産を利用しながら、冷戦を繰り広げることになる。

独裁者の狂気を押し止めることができなかった。ブーヘンヴァルト強制収容所。5万人がここで犠牲になった。連合軍はこの場所をドイツ人にも見せなければならないと考えた。自分が個の目で見た証拠を伝え残すためにも。ドイツ人が見学させられる映像が残っている。一人の女性カメラマンがその時の様子をこう記している。「女性は気を失い、男性は顔を背け、知らなかったんだと言う声が人々から上がった。すると、開放された収容者たちは怒りをあらわにこう叫んだ。『いいや、あなた達は知っていた。』」

NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第2集 グレートファミリー 新たな支配者」

未曾有の好景気(世界大戦後のアメリカ)

ロックフェラー家(ジョン・ロックフェラー)、石炭で動いていた世界を一変させた。ロックフェラージュニア、孫たちも政財界も、慈善団体の代表、副代表になった。マンハッタン銀行のトップに、様々な分野に君臨することになった。

新興国アメリカを資本主義大国に押し上げた。金融王:モルガン家、新製品:デュボン家、自動車:GM(エジソン)、自動車王:大量生産:フォード。資本主義というモンスター誕生の物語。廃墟のヨーロッパ、連合国イギリス、フランスは国力を使い果たし消耗しきっていた。戦場にならなかったアメリカ。圧倒的な経済力と工業力で経済大国に躍り出た。

モルガン:ウォール街の帝王、ドイツに賠償金を迫った。一般の顧客は相手にしないモルガン商会。証券取引所がなかった1910年中半まで中央銀行の役割を担った。ニューヨークを目指して、マネーと人が流れ込んだ。五番街、高級ブランドが店を並べた。摩天楼の建設競争も始まっていた。クライスラービル(クライスラー)、エンパイア・ステート・ビル(GM)。アメリカの自動車は価格が10年で1/3になり、大衆化した。道中にガソリンスタンドが現れた。

  • 1912年:タイタニック号の事件

    1500人の犠牲。モルガン一族、金持ちの救助を優先した疑い、しかし当時モルガンに楯突くものなどいなかった。

エネルギー革命

1923年 ペンシルベニア 油田。男たちが手当り次第、掘り出した。大金を投じても必ずしも石油が見つかるものではない。しかし、ロックフェラーの考えは違った。石油を掘り当てるのではなく、人が採掘した石油を買い集め精製して販売するビジネスを作った。自社製品が世界のスタンダードとするために、スタンダード石油と名付けた。石油の富を独占した。無敵のロックフェラーを脅かすもの。持てるものと持てないものの格差が広がった。9000人の労働者がストライキを決行した。対抗部隊を動員し、30人を犠牲にした。

ヘレン・ケラー、労働者の待遇改善を訴えた。「女性と子どもたちをサグ害するなんで、ロックフェラーは資本主義の化け物だ。」もはや世界はロックフェラーの石油なしには動かなかった。「人類の幸福に役立てよと神が与えてくださった才能だった。」

移民大国アメリカ

1920年から400万人を超える移民が押し寄せた。イタリア移民、ヨーロッパからやってきたユダヤ人だった。革命の混乱の時期、ユダヤ人の大量虐殺が起こっていた。迫害から逃れ、アメリカに新天地を求めた。マックスファクター(化粧品商売)、ロシアにあった世界最大のユダヤ人コミュニティがニューヨークに移った。隙間産業を狙うユダヤ人が目につけたのは、映画だった。トーマス・エジソン:映画カメラを発明し、特許を独占していた。あらゆる映画製作に対して特許料を要求した。ユダヤ人は、エジソンの監視の目を逃れるために、西武に移動した。映画の都が誕生した、ハリウッド、パラマウント、ワーナー・ブラザースなどすべてユダヤ人が創業者だった。女優の粗かくしのためにリップなどを発明した。「多くのアメリカ人がこう言われた。ユダヤ人は差別のおかげで頑張れた。」

しかし、自らの力でのし上がろうとする移民は少数派。移民の多くは工場で職を求めた。アメリカ人労働者に育てることに困っていた。英語の基礎を教え込む学校を作ったフォード。

  • 1920年:禁酒法
  • 1923年:関東大震災

    大規模な災害援助を行った。モルガンも手を差し伸べた。20億ドルの復興国債を貸した。40年後の高度経済成長時に返済した。

自由貿易による平和貿易

グレートファミリーは、世界に進出しようとしていた。ロックフェラー財団、途上国の生活水準の向上。朝鮮総督、斎藤実とあった。中国北京で医療の支援。アフリカでは黄熱病、マラリアの撲滅や公衆衛生の向上に取り組んだ。

大規模な慈善活動で、資本主義を広げることを目的とした。

大量生産・大量消費

生活必需品以外のものを変える世界が到来した。レーヨン:安価で大量生産できる布で女性の装いを変えた。セロハンによって袋に革新があった。これらの発明者はデュポン(もともと化学メーカー)第一次世界大戦では、火薬の40%を供給した。合成ゴム、ナイロンストッキングなど様々な商品を発明した。新製品が発明されるたびに欲望を掻き立てられていった。

  • 1930年代:19週休2日制
  • 旅行ブームが到来した。パルのカフェはアメリカ人で溢れかえっていた。フィッツジェラルドが一家に旅行したときの映像が残されている。アメリカ消費社会のシンボルだった。

パリのバレエ・リュス(前衛的なダンス)がアメリカ人を魅了した。世界的な経済学者ジョン・メイナード・ケインズがパリのバレエ女優と結婚した。

崩壊

1929年に入っても、アメリカは好景気、当座の現金がなくても購入できることが当たり前になっていた。株に関しても現金がなくても株券を担保に変える仕組みができていた。

  • 1929年:モルガンが経済の加熱を不安視するレポート作成
  • 1929年:5日後、ウォール街株価暴落

大暴落「ニューヨーク証券取引所、大きな人だかりができています。」軒並み半分にまで暴落、一瞬にして紙くず同然。借金をして株券を購入していた人は破産する。

  • 1933年:モルガンの聴聞会、過剰な投機熱の煽り、インサイダー取引、脱税

リーマンショックと同じ出来事が、75年前にもあったのだ。

  • 1930年代:ダストボウル、強い砂嵐
  • 農家は土地を捨て西に向かった。なにか飲む報いではないか誰もがそう考えた。ルート66は33万人の農民で溢れかえった。移動する人々の川になった。

ソビエトのプロパガンダ映像、アメリカを煽った。「最高級の自動車、高層ビルがあるのに、パンを食べることができない。」

大恐慌のさなか、ロックフェラーセンタービルを二代目ロックフェラージュニアが作った。三代目ロックフェラーデイビッドは、世界最大のビル:world peace throuh peaceからワールド・トレードセンターが作らえた。(911のビルだった。)遺産を調べると、大暴落のときに買った資産から損失を取り返していた。フォード「さらばだ天国で会おう。」ロックフェラー「貴方が天国で会えるのならね。」ドイツや日本へ大恐慌の波。フランスの労働運動(1934年)

社会主義やファシズムのほうがましだとした。軍国主義が台頭。領土拡大を目指した。世界は一触即発になった。戦争の足音が近づくと、デュボン家は、政府との結び付きを深め、再び化学を主力とした。

モルガン商会は、戦争が近づくと態度を一変させ、戦時公債を買おう。アメリカの若者が戦場に向かう。アメリカは資本主義を社会樹技から守り抜く長い戦いを始めることになる。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第1集 百年の悲劇はここから始まった」

2017-04-28, 2019-12-10

20世紀最初の世界大戦を見つめる。動く映像の余りの生々しさに人々は言葉を失った。従軍カメラマン。何という恐ろしい記録だろう。小さなカメラに収めた動画は生き残り、映像で何度も再現されることになる。100年の時を追体験をする。私達はなぜこのような世界に生きているのか。私たちの行末を知るための確かなる手がかりとなるだろう。

<2019-12-10>
100年という単位は、人間は生きることができない期間。
100年時代といっても自分が生きる世代は100年まで生きることができないだろう。2100年まで生きることは100%ないといって間違いないだろう。

20世紀最初の世界大戦

開戦直後、ドイツ軍とイギリス軍が戦った国ベルギー。今も不発弾が見つかる。すべての不発弾を処理するには、300年かかる。100年前の世界大戦の負の遺産を背負う。ドイツの科学者、フリッツハーバー博士が毒ガスを発明した。以来、科学技術の最大の目的は戦争への貢献となった。ロシア革命を成し遂げ、世界で初めて社会主義を実現したレーニン、恐怖政治の創始者だった。国民に真実を隠し、異議を唱える人物を強制収容所で送り込む。20万人を処刑した。アラビアのロレンス。今に至る中東紛争を作ったきっかけを作ったのはロレンスの裏切りだった。私たちが生きている現在は世界は第一次世界大戦の産物なのである。

世界大戦前の世界

1900年。19歳のスペイン人の若者ピカソがパリにやって来た。パリ万博が開催され、世界の繁栄と平和を象徴していた。パリ訪問がピカソの創作の原点となる。ココシャネルが活躍していたのもこの時代である。スポーティーなデザインで革命を起こす。アメリカのライト兄弟はエンジンによる動力で初の飛行に成功した。テクノロジーは人類に幸福をもたらすものと無条件に信じられた。誰もが飛行機ダンスを踊った。オーストリアの人気作家だったツヴァイクは大戦の前の世界を一言で言うならば「安定した黄金時代だった。科学技術の力を信じ、誰もが進歩していく誰もがそう信じていた。」

イギリスのSF作家H・G・ウェルズ、20世紀の運命を正確に言い当てた。「世界はイギリスとドイツの二大陣営に分かれて戦争を行う。原子に莫大なエネルギーが秘められていることを突き止めていた。長崎広島まで見通していた。」

世界大戦のきっかけ

1914年6月、オーストリア・ハンガリー帝国、サラエボで起こったことが始まりだった。オーストリア・ハンガリー帝国皇太子が殺害された。セルビアの民族主義者が殺害した。なくなった皇太子の叔父がセルビアに宣戦布告した。バルカンに領土的な視点を持つロシアがセルビアへの支援を表明した。列強は安全保障のため軍事保証を結んでいた。オーストリアの同盟国ドイツ。フランスとイギリスに宣戦布告する。2代陣営に別れて、軍事同盟により戦火に巻き込まれていく。ドイツはフランスとロシアに対して宣戦布告する。ウィルヘイム2世の兵士を鼓舞する肉声。

戦争を望まないその他の国々も軍事同盟に縛られ、30カ国の国々が戦火に巻き込まれていく。ドイツがベルギーに進行し、ベルギーから難民が発生した。

1914年8月 ベルギーと軍事同盟を結んでいたイギリスが参戦する。50万人の若者が志願した。戦争をロマンチックな冒険と考えがちだった。兵士たち誰もが戦争は数ヶ月で終わると信じていた。兵士たちの肉声が多く残されていた。「ドイツ軍などあっという間に蹴散らすことができると新聞が煽っていた。みんなそう信じていたし、クリスマスには戦争は終わると思っていた。友人はこぞって志願した。一方で、ドイツ軍は愛国心に満ちていた。ドイツ軍は祖国の華々しい勝利を信じていた。」イギリスの若者たちは訓練不足のまま戦場に送られた。イギリスの新兵は、ドイツの新型機関銃の格好の餌食になった。防衛戦法として塹壕で過ごし、突撃命令を待つ。塹壕が少しでも頭を出せば球が飛んでくる。首の人形を作っていた。フランスの西部戦線では、塹壕は永遠に700km伸びた。最悪なのは、雨だった。不潔極まりなかった。チフスや肺結核などの病気が伝染した。梅毒などの性病も万栄した。20万の兵士が梅毒が広がった。この世界をきっかけにコンドームが広まった。軍港人の慰安施設。酒と女、自分たちが戦争の道具であるということの気休めとしてその2つはあった。

1年をたたないうちに、戦火は世界に拡大する。日本はイギリスの同盟国として、参戦する。ドイツ領青島(チンタオ)に日本軍が出兵した。当時ドイツの東洋艦隊の巨塔としていた。ドイツの主力艦が青島から離れているときに、日本はドイツ軍が留守の間に青島を攻略。ほとんど傷を負うことなく巨大な権益を得た。アメリカは、日本が中国の権益を拡大しないだろうかと列強は懸念していた。のちに大陸へ派兵を拡大し、列強の懸念は現実のものになった。

中央アジアでも衝突していた。オスマン軍とロシアの戦い。12万の大群を送る無謀な戦い。戦闘することなく凍え死んだオスマン軍、愚かな作戦により、9割のオスマン兵が戦士した。開戦後5ヶ月、西部戦線では150万の兵士が戦死した。多くの遺体が塹壕の中に放置された。冒険への熱狂が急速に色あせた。

スコット・フィッツジェラルド:グレート・ギャッツビーの作者がドイツを訪れたあとの回想が残されている。(この時代の人)

化学兵器 毒ガスの開発

1915 クララ・ハーバー:初めて科学の博士号を得た女性。夫はハーバー博士:空気中から窒素固定する技術を開発し、ノーベル賞を獲得した。それによって農業がより安定した。戦争が始まると極秘の研究に取り組んだ。カイザーウィルヘルム研究所(マックスプランク研究所の前身)、アインシュタインとフリッツ・ハーバーが在籍していた。君は天才的な頭脳を間違った方向に使っている。毒ガスの開発をしていた。

1915年4月22日、塩素ガスが放たれ、600人が犠牲になった。大勢の兵士がのたうちまわり皆苦しみパニックになった。毒ガスから身を守るマスクが発明された。衝撃を受けたクララは夫に強く抗議した。「科学を捻じ曲げている。研究をやめてください。」夫は「毒ガスは戦争を早く終わらせ、ドイツの兵士を助けるのだ」と主張した。実際には戦争は長引き、被害は拡大した。連合軍も強烈な毒ガスを開発。両軍合わせて6600万発の毒ガス弾が使われ、死傷者は100万人に及んだ。

ハーバー博士を祝うため祝賀会が行われた。その時、クララは夫のピストルを使って自害した。強力な殺虫剤も開発した。博士自身もユダヤ人で同法の絶滅のために使われた。そして、ナチスに迫害され亡命した。「私がいかにドイツに忠誠を果たしてきたか、今思えば吐き気がするほどの嫌悪感を感じる」。無差別大量破壊の起源となった。ベトナム枯葉剤、イラク戦争など。

フランスには広大な地下壕が残っている。深さ10m。40万平方メートルに及ぶ地下壕がある。兵士は暗闇に身を潜め、砲撃の嵐に耐えた。敵陣地の地下まで掘り進め、強力な爆薬を運び込む。地雷の爆発で仲間たちの手足が飛び散った。地下壕には若者の叫びが残されている。ろうそくで天井に残された文字「地獄」地下壕には礼拝所も作られた。地下で祈りを捧げ戦場に向かった。

世界大戦3年目

1916年、西部戦線は動かない。戦いは地下のトンネルから大空へ向かう。第一次世界大戦で爆撃機が初めて投入された。戦争は新たな時代が訪れた。激しい空中線。

撃墜王、リヒトホーフェン。レッドバロンと呼ばれた。操縦席に機関銃を搭載。80機を撃墜した。正義感に溢れ、勇敢。ドイツ女性の憧れだった。ウィルヘルム二世。プール・ル・メリット勲章を与えた。塹壕の中で苦しい戦いを迫られている仲間を思うと思うと戦いを引退することを辞められなかった。そして、享年25、撃墜された。連合軍は敵国の有志をたたえ、戦場に丁重に葬った。

戦争は総力戦になった。100万人の女性たちは軍事工場で働く。エンジンの製造作業や飛行船を組み立てる危険な作業など。軍需工場の仕事を元に病気になる女性も存在していた。まだ19歳だった。金属の粉を大量に吸い込み苦しみながら死んでしまった若い女性。弾丸を量産した。軍事工場の経営者は女はいくらでも代わりはいるとうそぶいた。本当は女達の働きがなければ戦争は負けていた。路面電車の運転手、炭鉱での重労働、弾薬の輸送部隊。対戦中半。一日あたり40万発。対戦を通じて14億発が消費された。

連合軍の謀略戦

1916年 それでも、西部戦線の膠着を打開することができないでいた。新たな戦術に活路を求めた。ドイツの同盟国オスマン帝国に仕掛けた。600年の歴史を持ち、広大な領土を持つオスマン帝国、瀕死の病人と呼ばれていた。領土は現在の中等全域であった。人口は1800万人、首都はイスタンブール。多民族国家を形成していた。イギリスはアラブ民族の独立運動に目をつけた。内部からオスマン帝国を倒そうと企てた。次々と見つかる油田だった。イギリスはアラブの有力者と密かに接触した。フセインとファイサル、若い情報将校トーマス・エドワード・ロレンスがおくれられ、フセインとファイサルにオスマン帝国打倒を目指し、武器と資金の提供を提案した。イギリス人でありながら言葉が喋れたロレンスに信頼をおいた。ロレンスはファイサルに独立を果たした暁には、アラブの独立国を支援するとした。それを信じたファイサルは反乱軍を組織した。オスマン帝国に勝利するためには、アラブ人の情熱が必要だった。

反乱軍は巧みなゲリラ戦法でオスマン軍に打撃を与えた。オーウェル・トーマス「アラビアのロレンスとともに」英国のロレンスのプロパガンダを作った。ロレンスは世界的な英雄となった。映画大作「アラビアのロレンス」

ただ、アラビの民からすると裏切りの民だった。しかし、アラブ建国を約束したが、イギリスはフランスと密約を交わし、戦後、オスマン帝国と分割する約束をしていた。ユダヤ人にもユダヤ人の国をつくることを約束をしていた。この欺瞞に満ちた約束が今の悲劇をもたらしている。

アメリカにも情報戦を仕掛けていた。中立国アメリカを戦争に巻き込むためだった。アメリカの銀行家 JPモルガンJr. JPモルガンの二代目、アメリカの軍事工場で武器を製造させていた。もしイギリスが負ければ、大損害を被る。ウィルソン大統領は公には、中立を主張していた。しかし、翌年、ウォール街の圧力に屈することになる。

ドイツの謀略戦

1917年 ウラジーミル・レーニン、スイスで亡命生活を送っていた。ドイツはレーニンをロシアに帰国させた。敵国ロシアを内部から潰すことを目的とした。東部戦線。ロシアがドイツやオーストリアと戦う。ロシア軍は絶望的な戦いを続けていた。武器も食料も尽きていた。100万の兵士が脱走、ロシア軍は崩壊した。

ベトログラーク(現サンクトペテルブルグ)ロシア2月革命:女性が食糧難に講義、革命に発展した。食糧難に抗議、300年続いたロマノフ王朝を打倒。臨時政府が開かれた。ロシア皇帝、ニコライ二世はシベリアに幽閉された。

1917年 ロシア10月革命:臨時政府を倒し、ソビエトを誕生させた。レーニン「市場初めて労働者と農民によるソビエト評議会が国家権力を握ったのだ」ドイツに全面降伏した。ドイツの思惑通りの結果となった。東部戦線が終結し、西部戦線に戦力を集中させた。連合軍は破産寸前になっていた。通常の国家予算の6倍を超えた。

中立国アメリカの参戦

連合軍が負ければ莫大な貸付金を回収できなくなる。大統領はウォール街の圧力に抗しきれなかった。6月ヨーロッパへ向かうアメリカ兵。パリに到着したアメリカ軍が歓迎された。勝利に向け大きな一歩を踏み出した。

ロシア内戦

反革命軍(ロマノフ王朝の残党)VSボリシェビキ(赤軍):反革命軍は赤軍以上に標的にしたのがユダヤ人だった。ユダヤ人というだけでボリシェビキと見なされた。もはや残虐行為を辞めさせることができない。700万人のユダヤ人が暮らしていた。社会に混乱が起きたとき、しばしば異教徒であるユダヤ人に向く。10万人が虐殺された。ロシアから脱出する。アメリカとパレスチナで強力なユダヤ人社会を作ることになる。

終焉に近づく

1918年 アメリカ軍の快進撃、600台の戦車 ドイツ軍は壊滅的な打撃を受けた。ドイツ陸軍暗黒の日 1918年8月8日、ドイツ陸軍暗黒の日。10月ドイツの同盟国オスマン帝国が幸福、軍事拠点ダマスカスが陥落。アラブの反乱軍がダマスカスに凱旋。ロレンスを伴ってファイサルが凱旋。アラブ民族の独立を宣言した。アラブ人が長年求めた自由がやっと手に入った。アレンビー将軍はファイサルに申し出た、アラブ黒呪率はできないと。

終焉

1918年11月11日 休戦協定成立。ついにドイツが降伏した。

死者1700万人、負傷者2000万人。

勝利者はその後の世界をめぐる画策を始めた。アメリカ、勝利なき平和。英仏、モルガン商会 トーマス・ラモント。ドイツの国家予算の20年分に及ぶ金額を賠償金とした。(ベルサイユ条約)イギリスの経済学者ケインズがウィルソン大統領の賠償案に抗議した。ドイツでは、講和条約に反対する抗議が始まった。アドルフ・ヒトラーもその場にいた。ドイツの皇帝ウィルヘルム2世は亡命した。民衆が皇帝を裏切った。

大戦終了後

同じ陣営にいたフランスによるダマスカスへの空爆。アラブの独立は幻に終わった。ファイサル連合国に利用されて、見捨てられた。さらなる裏切り、イギリス軍のパレスチナ占領。パレスチナの住民の9割はアラブ人、しかし大戦中この街にユダヤ人の街を作ることを約束していた。ロスチャイルドなどユダヤの資本家を味方につけるためだった。世界中からユダヤ人がパレスチナに集まった。アラブ人が独立を夢見た土地にユダヤ人が根を下ろす。のちのイスラエルである。1920年 パレスチナ紛争。今も続く憎悪はここから始まった。

モスクワ

1924年:レーニン死亡

等に従わない人物を収容所に送り込んでいた。チェカー長官ジェルジンスキー、20万人以上を処刑した。共産主義革命。

1935年:ロレンス死亡、オートバイの事故でなくなった。アラブを裏切り、罪悪感に悩まされたロレンス。しばしば名前を変えた。「激しい恥辱に悩まされ、極度の自己嫌悪に悩まされた。」

<2017-04-28>
現在の世界の平和は、非常に恵まれているのかもしれない。
自分は歴史のある大企業に働いて見るべきなのだろうか。

<2019-12-11>
100年前にこのような人間同士の争いがあったのだと思うとゾッとする。